Something wrong with you 5.5

 あともうひと押しといったところか。
 昼下がりの市場で果物を手に取りながら、キーフリーはぼんやりと考え事をしていた。視線は果物に向いているものの、意識は隣の露店で店主と話しているココに向いていた。
 彼女の楽しそうな声は、逆にキーフリーの精神をひりつかせた。
 
 
 
 人を服従させるにはどうすればいいか。最も手っ取り早い方法は痛みを与えることだ。拷問であれ脅迫であれ、短時間で誰かに言うことを聞かせるには痛みを、もっと言えば命の危機を味わせるのが最も時間対効果が高くなる。
 さらに長期的に自分の言うことを聞かせたければ、洗脳という手段がある。対象となる人間がそれまで依ってきた生活環境、価値観の全てを破壊し、生じた心の隙間に自分の考えを刷り込ませる。シャンプーを詰め替える作業にも似ている。中身を消耗させて、新しいものを詰め込むのだ。
 しかし、上記二つには致命的な欠点があった。それは対象が単なる手駒以上の存在にはなり得ないということだ。継続的な痛みを与えると脳は萎縮し、論理的に物事を考えられなくなる。単純な目的のために利用する分にはそれでも十分だが、つばあり帽という強敵を相手にするには脳の無い手駒を増やしたところで意味がない。必要なのは絶対に自分の言うことを聞き、さらには自分の思いつかない発想を提示しうる有能な右腕だ。
 唯一の肉親も家も失い、そして今までの常識をも覆されたココを洗脳することなど、赤子の手を捻るより容易いことだろう。逆に、彼女を真っ当に教育し、自由な発想力や魔法への憧れを伸び伸びと育て上げることも可能だ。しかし、その発想力を維持したまま、彼女をキーフリーの忠実な下僕に仕立て上げるのは中々の難題だった。
 とはいえ手段がないわけでもない。キーフリーは既にその手段を実行に移していた。
 
 
 
 「お待たせしました! 長くなっちゃってすみません」

 両手に山盛りの野菜を抱えて、ココが駆け寄ってくる。赤い果実と白い肌のコントラストが目に鮮やかだ。

 「じゃ、帰ろうか」
 「はい!」

 ココから荷物を受け取って、帰りの道を歩き出す。家に帰るまでの間、ずっとキーフリーは思索に耽っていた。
 
 
 
 何があってもこの人についていく、そう思わせるのに最も手軽かつ強力なのは恋愛関係に落とし込むことだ。都合のいいことにココは異性、しかも庇護を必要とするか弱い少女だった。主従関係に恋愛を、もっと言えば肉体関係を持ち込み、絆を何重にも結ぶ。“かけがえのない存在”だと思い込ませる。
 衣食住を提供したのも、花を買い与えたのも、閨で彼女を悦ばせたのも、全ては彼女に好かれるため、それもただの好意ではなく全幅の信頼と愛情を得るためだ。まずは優しさがなければ人はついてこない。
 だが優しさだけでも人を惹きつけることはできない。
 スパイスが料理の味を引き立てるように、“痛み”はあらゆる関係への甘美な蜜に、そして足首に嵌る枷になる。厳しさの後に優しさを、苦痛の後に快楽を与えられると人は安心し、やがてそれが癖になる。さらに弱みを見せて同情心を煽れば、よほど意志の強い人間でない限りは逃げられない。風切羽を切った小鳥の完成だ。
 キーフリーがココに自分の過去を明かしたのも、同情を引いて優しい彼女の逃げ道を狭めるためだった。あとは痛みを与えさえすれば彼女は飛べなくなる。今まではどことなく気乗りなかったこともあってひたすら彼女を甘やかしていたが、そろそろ頃合いかもしれない。逃げるという選択肢すら浮かばなくなるような泥沼に、彼女を突き落とす時が来たのだ。
 他の男が目に入らなくなるぐらいに。
 胸の内側にもやもやとした不快感が湧いていて、キーフリーは息を吐いた。心臓とも肺ともつかぬ、まさに心というべき場所が原因不明の翳りを訴えている。
 彼女の羽を切ったら、この胸の痞えも下りるだろうか。
 
 
 
 
 家に帰ってきた。キーフリーの悪辣な計画を嘲笑うかのように、昼過ぎの明るい日差しが小屋に燦々と降り注いでいた。

 「いっぱい買っちゃいましたね」

 ココは満足げに紙袋から食材を一つ一つ取り出し、戸棚にしまっていく。白いワンピースの裾が細い太腿の前でひらひらと揺れていた。
 拾った時は目にも止めていなかったが、彼女は中々魅力的な外見をしている、とキーフリーは思う。白く細い手足は少し力を込めれば簡単に折れそうで、艶やかな若草色の髪から時折覗く項は確かな色香を湛えている。あのまま仕立屋で働いていれば、きっと良い男と結婚して平穏無事に暮らしていただろう。
 だがもう彼女はキーフリーの物なのだ。

 「先生?」

 視線に気づいたのか、ココが振り返る。その顎を捕まえて、キーフリーは口付けた。

 「んっ!? ん、む……」

 彼女の柔らかい唇を食み、小さく開かれた隙間から舌を差し込む。顎を支えているのとは反対側の手でココの細い腰を撫で、折れそうな体を抱きしめた。ふんわりと少女特有の甘い香りが鼻をつき、キーフリーの理性を毒のように蝕む。
 ココはたどたどしいながらもキーフリーの舌遣いに懸命に応えていたが、やがて息苦しくなったのか胸を叩いて抵抗の意を示した。唇を離すと、ココが「ぷは」と水から上がったかのように息を吸い、困り顔でキーフリーを見上げた。

 「ま、まだお昼ですよ」
 「だめ?」

 少し唇の端を吊り上げて問うと、ココは「うぅ」と顔を真っ赤にして呻き声を上げる。だめじゃないですけど、と口の中だけで呟き、恥ずかしそうに目を伏せた。長い睫毛が年齢にそぐわぬ色気を醸し出し、ふるふると震えるのを、上機嫌で見つめる。

 「だってこれは罰だから」
 「罰?」

 ココは目を丸くしてキーフリーを見つめた。その肩に軽く力をこめ、食卓に押し倒す。ココは先ほどの羞恥から打って変わって狼狽を顔に浮かべていた。何か悪いことをしたかどうか、自分の行いを振り返っている顔だ。

 「わ、私何かしましたか?」
 「ふふ、わからない? なら当ててみて」

 そういうと、キーフリーはココの首筋に唇を寄せた。くすぐったさに身じろぎしながらも、ココは真剣な顔で懸命に考え込んでいる。
 ああ、可哀想なココ。責める手を止めないまま、キーフリーは湧き上がる愉悦を堪えるのに必死だった。
 実際にココが何か道徳的に悪いことをしたのかと問われれば、答えはノーだ。彼女を支配することが目的なのだから、罰の理由など何でも良い。現にキーフリーが今思いついている理由でさえ、ほとんど言いがかりに近いものだった。その罰はただ彼女を骨の髄まで支配するためだけのものだということに、彼女は終ぞ気づけないのだ。

 「ねぇ、わかった?」

 息を吹き込むように彼女の耳元で囁くと、その背中が震えながら反らされた。

 「うぅ、そんな、私、わかんな……あっ!」

 肌着の上から、胸の頂を軽い力でかりかりと引っ掻く。たった数往復しただけなのに、もうココの瞳は涙で潤んでいた。固さを増した飾りを指の腹で押し潰したり、軽くつまんだりするたびにココが甘い悲鳴をあげる。この状態では“罰”の理由を言い当てるどころか、まともに考えることさえできないだろう。

 「ほら、ちゃんと考えて、反省しないと。何が悪かったのか言ってごらん?」
 「は、ああっ! まっ、て、て、手を、とめて……」
 「“止めて”?」

 キーフリーの眉がぴくりと動いた。躾のなっていない犬を見た時のような気分だった。片手でココの柔らかな両頬を掴むと、ココが目を見開いた。

 「“止めてください”でしょ?」

 その言葉に、ココは動揺したかのように目を泳がせた。まるでそんなことを言われるとは思っていなかったとでも言いたげな顔をしている。しかし、疑問を挟むような余地もなく、彼女はおずおずと口を開いた。

 「と、とめてください……」
 「だめ」
 「え、な、んで……あ、やぁああっ!!」

 再び始まった胸への刺激にココは背を反らして快楽を享受した。先ほどよりも強く、指の腹で転がすように頂を弄びながら追い詰めていく。

 「だって、これはお仕置きだから。優しくしたら意味がないでしょ」
 「そ、そんな……」

 絶望に揺れる瞳の奥に、きっと本人も気づいていないほど僅かな歓喜の炎が灯っているのを、キーフリーは見逃さなかった。彼女は本気で嫌がっているわけではない。ならば責め手を止める理由もないだろう。

 「ほら、頑張って考えて」

 そう言いながら彼女の下着に手をかける。触れてもいなかった秘所はもうすでに十分すぎるほど潤っていて、中指を差し込むと簡単に飲み込まれていった。

 「ふぅうううっ……」

 ココは唇を噛んで必死に考え込んでいる。もはや考えるというより、快楽に身を委ね切らないよう我慢しているという方が正しかった。指で膣の上壁をこすり、かすかに膨らんでいる所を重点的に絞ると、ココが手を口に強く押し当てた。まるで声を出せば理性が飛んでいくとでも思っているかのようだ。それが気に入らなくて、キーフリーは彼女の両手首をまとめて片手で掴み、頭上に押し付けた。

 「声を押さえるのも禁止。全く、ココは悪い子だね」
 「ふぇ、ごめんなさい、もう許して……あぁっ!」

 指をもう一本増やし、二本の指で彼女の性感帯を徹底的に責める。ココの瞳から涙がこぼれ落ちるのを、舌でなめとった。僅かに塩の味がする。はしたない水音の合間に彼女の嬌声が響いた。

 「おねが、もう、もうわかんな……あ、はぁっ!やっ、だめ、ぁああ……!」

 嫌だの駄目だのうるさいわりに、秘所からはとめどなく愛液を垂らしてキーフリーの指を飲み込もうとしているのだから不思議なものだ。そうだ、とキーフリーは妙案を思いつく。手首の拘束を解くと、ココがおずおずとキーフリーを見上げた。

 「じゃあ今から“いや”とか“だめ”って言う代わりに、“気持ちいい”って言ったら許してあげる」
 「ほ、本当ですか……?」
 「うん。でも、ちゃんと気持ちいいって言わなきゃだめだよ」

 ココは唾を飲み込み、荒い息でこくこくと頷く。試練はこれからだというのに、もうすでに許されたような顔をしていた。
 張り詰めていた自身をココの中に挿入すると、ココが熱い息を吐いた。相変わらずの窮屈さにキーフリーも息を詰める。気を抜くと我を忘れて快楽に耽ってしまいそうだ。軽く揺さぶるように動き始めると、我慢しきれてもいない甘い声が彼女の唇から漏れる。
 キーフリーは体を折りたたみ、ココと密着するような姿勢をとった。救いを求めるかのように、彼女がキーフリーの服にしがみつく。白く細い首筋が露わになった。
 今だ。
 キーフリーはなんの躊躇いもなく、その首筋に歯を立てた。

 「っ゛あ!!」

 ココの表情が苦悶に歪んだ。かと思えば、自分がされたことを認識して「信じられない」とでも言いたげな顔に変わる。それを見下ろしながら、キーフリーは唇についた血を舐めとった。

 「な……なにするんですか! 痛いです!」
 「“痛い”? “気持ちいい”、でしょ?」

 うそ、とココの声が絶望に震えた。彼女は何か言おうとしたが、キーフリーが律動を再開したせいで嬌声に消えた。

 「ふぁ、そ、んなの、ひどい、っあ、ああん!」
 「ひどい? 酷いのはココの方だよ。悪いことをしたのに、気づいてもくれないんだから」

 突き放すようにそう言うと、彼女は罪悪感に瞳を震わせた。また自分が何をしたのかと考え出して彼女が気を逸らす前に、耳の裏側に唇を寄せる。彼女の甘い匂いを掬い取るように舐め、ぐっ、と犬歯に力を込めた。

 「ああっ!!」

 悲鳴が上がった。彼女の柔らかい肌は呆気なく押し負け、再び血を流す。ココは痛みに歯を食いしばっていたが、やがて言うべきことを思い出したのか、苦し紛れに口を開いた。その目には涙が溜まっている。

 「うっ……き、きもちいい、ですっ……」
 「そう、それでいいんだよ」

 優しく頭を撫でると、ココは安心したように、そして嬉しそうに目を細めた。こうして調教を繰り返していけば、そのうち痛みを快感に変えられる。その身に、肉に、神経に、細胞全てに、キーフリーの存在が塗り込まれる。
 僕だけしか見えなくなればいいのに。
 その考えが口に出ていたのか、一瞬ココとキーフリーの目があった。しかし、すぐに与えられる快感でココの目が閉じられる。痛みの頻度がどんどん増えているが、彼女の快楽は止まりそうになかった。

 「あ、はっ、せん、せ、ああっ! あう、きもちい、きもちいいの……! せんせぇ……!」

 ココがキーフリーの服にしがみつく。それに応えるように、キーフリーも律動を速め、彼女の中で果てる。ひときわ大きく身を震わせたココは、それからしばらく放心したように天井を見つめていた。
 
 
 
 
 その晩のことだった。

 「あの、先生」

 肌を重ねるようになってから、キーフリーとココは共に寝るようになっていた。毛布にもぐりこみながら、ココが上目遣いでキーフリーを見つめてくる。噛み傷の跡が生々しい。

 「なあに?」
 「さっき先生が怒ってたのって、昼間に私が店員さんとおしゃべりしてたからですか?」
 「そうだよ」

 そう言うと、ココは恥ずかしさの奥で嬉しさを必死にかみ殺すような複雑な表情を浮かべた。その真意がわからずにキーフリーが黙っていると、ココが「それって」と遠慮がちに続ける。

 「それって、嫉妬した、ってことですか」

 ココは耳まで真っ赤にしてそう呟いた。まさかそう言われるとは思わず、キーフリーは目を丸くして彼女を見つめ返した。
 言われてみれば、そうなのかもしれない。確かにそう言われれば、昼間感じたあの胸の苦しさも納得がいく。そうか、嫉妬か。しかしそう考えて、キーフリーの腹の底からじわじわと可笑しさがこみ上げてきた。
 嫉妬だなんて、まるで平凡な恋愛小説のように陳腐ではないか。
 耐えきれなくなり、キーフリーはくつくつと笑いを漏らした。ココが慌てた声をあげる。

 「ご、ごめんなさい! 違いましたか」
 「……いや、違わないよ」

 そう、いかに陳腐だろうが、キーフリーは確かに嫉妬していたのだ。それは認めざるを得ない。彼女の手綱を握ろうとしたつもりが、逆に操られていたような気分だ。だが不快ではなかった。むしろ、このぬるま湯のような恋愛ごっこに興じてみるのもいいかもしれない、とさえ思い、そんな考えが浮かんだことに対しても愉快さを覚える。

 「好きだよ、ココ」

 そう言って、彼女の唇を啄む。甘い味がした。