Something wrong with you 6

 枝から一枚の葉が舞い落ちる。くるくると螺旋を描いて地面に吸い寄せられた葉は水溜りの表面に吸い寄せられたかと思うと、暗く澱んだ水に捕らえられ奥底へと引きずり込まれて行った。
 ——あの子と同じだ。
 我らが悲願を達成させるため其処彼処にばら撒いた種のうち、一つが芽吹いた。まさに奇跡的な確率だ。本来ならばその新芽は植木鉢に移され、正規の教育という水を浴び、禁止魔法の正当性を魔法使い達に告げる美しい花を咲かせるはずだったのだ。
 それが今やどうだ。
 事態は思わぬ方向へ転がっていた。死んだと思っていたはずの子供は土から蘇り、成長と共に生霊も青くなるほどの執念を磨き上げてこちらへ刃を向けてきた。希望の芽は彼の暗く深い海に閉ざされ、今まさに溺れそうになっている。
 しかし、まだ打開の手段は残っていた。
 正確に言えば残してきたのだ。“つばあり帽”への手がかりを、あの男の元に。
 普通の魔法使いなら見過ごすような些細な手がかりだが、彼なら絶対に見つけるだろうという確信があった。復讐のためだけにわざわざ少女を攫い、匿い、育てているような男だ。たとえ靴の裏についていた砂粒一つでさえ特定して居場所を探し当ててくるだろう。疎ましいとしか思えなかったあの男の執念も、今だけは好材料となっていた。
 彼は必ずあの子を連れてくる。男を殺し、少女だけをこちらに引き入れる。彼女にはその魂に刻まれた仕事を果たしてもらわねばなるまい。それができないのならば、彼女も殺す。そして再び種を蒔く。

 「君は絶対に勝てないよ、キーフリー」

 手足を失った虫けらが蠢いている。それを踏み潰して、イグイーンは長いローブを翻した。
 
 
 
 
 作業台の上は見たこともないような機器と沢山の本で散らかっていた。机の上だけではなく、文字通り作業台の“上”の空間にまで紙や魔材が浮いている。それを見ながら師はずっと一人で唸っていた。ココは読んでいた本を閉じ、立ち上がった。

 「何してるんですか、先生?」

 そう言いながらキーフリーの手元を覗き込む。そこには小さな瓶に入った、群青色の不透明な液体があった。樹血かと思うものの、いつもココやキーフリーが使っているものとは色味が違う。

 「これは?」
 「この前ココが持って帰ってきた魔法陣から樹血だけを抽出したんだよ。つばあり帽が描いたものをね」

 やっと解析のための材料が揃ったんだ、とキーフリーは続けた。ココは驚いて目を丸くする。

 「そんなことができるんですか」
 「こういうのは本来魔材屋の仕事だけど、こんな貴重な手がかりを他人に触れさせるわけにはいかないだろう?」

 そう言って瓶を光に翳す師の目は獲物を前にした猛獣のような赫きを湛えていて、ココはぞくっと鳥肌が立つのを感じた。殺気を直に向けられているわけではないにも関わらず、息がしづらくなる。
 しばらく瓶を眺めていたキーフリーは、やがてその蓋をあけると作業台の上に戻した。次いで手元にあった紙を一枚取り、慣れた手つきで魔法陣を書き付ける。

 「わぁ……」

 ココは思わず感嘆の声をあげた。
 魔法陣から湧き出た一筋の清流が、小瓶の中身を三分の一ほど掬い上げる。樹血と水は瞬く間に混ざったかと思うと、独りでに円錐形を成し、上層と下層に分かれた。上は黒く、下は透き通っている。おそらく上が樹血で、下が水だ。
 キーフリーは水だけを別の容器に移すと、今度は火の魔法陣を描いて水を火にかけた。ぐらぐらと沸き立つ音がして、容器の底から気泡が次々に湧き出てくる。そこで火を止めるのかと思ったが、師は何も言わずにどんどん水が減っていく様を見つめていた。
 水がほんの指先ほどの滴を残し、それでも火を止めないキーフリーに対してココが声をかけようか迷い始めたその時だった。

 「……ご覧、ココ」
 「え? あっ……!」

 水は完全にその姿を消し、容器の上には七色に光る砂だけが取り残されていた。
 
 
 
 
 かの有名な書籍「魔材大百科」によれば、こう書かれている。
 
 『カノ金砂
  硬度:2.5~3
  比重:1.8~2.0
  溶解度:0.29(20℃)
  ロッソ地底湖で取れる砂状の魔材。水や油に溶けるが鉱物に近い性質を持つ。結晶は光を反射して七色に見える。ロッソ地底湖自体が立ち入り困難であり、さらにカノ金砂自体も一度にごく微量しか採掘できないことから非常に貴重な品である。昔、これを採取しに行った労働者が悉く死んで帰ってこなかったことから「死の砂金」の異名がついた。
  カノ金砂を混ぜた樹血で魔法陣を描くと、その魔法の効果は術者に解除されるまで半永久的に残る。魔材として非常に強力であることから、所持・使用は法によって厳しく制限されており、「結託の日」以降は市場への流通が禁止されている』
 
 
 
 「死の砂金って……」

 訪れた労働者を地底湖が飲み込み、代わりにプッと唾を吐くが如くカノ金砂を吐き出すような光景をイメージしてしまい、ココは込み上げてきた吐き気をどうにか堪えた。隣に座っていたキーフリーが、地図から視線を上げる。

 「どうなんだろうね」
 「や、やっぱり怪物みたいなのがいるんですかね。こう、取りに来た人達をバクーって食べちゃうような」
 「ははは。怪物だったらまだ可愛げがあるんだけど」

 可愛げとはどういうことだ。地底湖から現れた怪物をキーフリーがあっという間に倒し、手懐ける様子を想像し、ココはまじまじとキーフリーを見つめる。
 そんなココの思考を読んだのか、キーフリーは「違うよ」と笑った。眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。

 「いくら立ち入り困難とはいえ、労働者が一人残らず死んでるのは異常だ。しかも、誰一人取ってこれなかった割には、貴重ではあるにせよ流通しているわけだしね」

 そう言うと、キーフリーはココの答えを促すかのように言葉を切った。うむむ、とココは顎に手を当てて考える。

 「手に入ってはいるけど、それを隠したいってことですか? すごく貴重なものと思わせるために」
 「それもあるかもしれない。流通量が絞られれば当然価値は釣り上がるからね。ただ、それだけなら労働者を死んだことにする必要はない。取れませんでした、でいいんだから」

 それもそうだ。いい線をついたと思ったが、社会をよく知らないココにはこれ以上答えられそうもない。
 「わかりません」と師を見上げると、彼は子供っぽい笑みを浮かべて「多分ね」と囁いた。

 「殺しちゃったんだよ」
 「えっ?」

 ココは目をまん丸に開いてキーフリーを見つめた。

 「カノ金砂を取ってきた労働者は、一人残らず殺された。持ち逃げを防ぐため、取り分を全て雇い主が得られるようにね。地底湖があるから死体の処理には困らないし、一攫千金を狙ってやってくる労働者は後を絶たない。やりたい放題だ」

 あまりにも酷い話に、ココは絶句する。いくら昔の話とはいえ、人の命をなんだと思っているのか、許せない、と言いたくなる。
 しかしそこまで考えて、ココは別のことに気づいた。

 「ってことは、もしかして死体を見ちゃうかもしれないってことですか!?」

 ココとキーフリーは現在、羽根馬車に乗ってロッソ地底湖へと向かっていた。理由はただ一つ、つばあり帽の魔材にカノ金砂が含まれていたからだ。原産地であるロッソ地底湖に手がかりがあるかどうかはわからないが、そこを探してみるより他ない、と。
 つばあり帽の手がかりならいくらでも目撃したいが、死体などお断りだ。しかもそこまで曰くつきの場所なら、もしかして“出ちゃう”かもしれない。この世にいるべからざる魂的なものが。
 ココが悲鳴をあげて泣きつくと、キーフリーはひたすら笑うばかりで肯定も否定もしなかった。ひとしきり笑い終えてキーフリーがため息をつく。

 「でも、この世界なんてそんなものだよ」

 そう言った師の声色は真面目そのもので、ココはごくりと唾を飲む。窓の外に顔を向けてしまったため、彼の表情を読み取ることはできない。しかし微かに見えるその横顔は、怒りを湛えているようで、どこか寂しそうにも見えた。

 「この世界で一番恐ろしいのは、人間だ」

 吐き捨てるように呟かれたその言葉を、忘れるべくもなかった。
 
 
 
 
 近くの町で羽根馬車を降り、そこからは歩いて、もとい飛靴で飛んで地底湖に向かうことにした。まずは地底湖があるという鉱山へと向かう。
 廃坑になったというその鉱山へ続く道は荒れに荒れていた。大人の背丈ほどもありそうなほどの草木が海のように広がっている。それでも一部の草木は踏み倒され、うっすらと道のようなものを形成していたことから、未だに「死の砂金」へと挑む者は絶えないのだろう。飛靴が無かった時のことを思うと気が遠くなりそうだ。
 ぱた、と頰に雫が降りかかり、ココはハッと空を見上げた。

 「雨が降ってきましたね」

 空は黒々とした雲に覆われ、今にも雷鳴を轟かせようとしている。前を飛んでいたキーフリーが、こちらを振り返った。

 「本当だ。でも、見えてきたよ」

 延々と続くかのようだった草木の海の向こうに、それはあった。それを見た途端、ココの体は恐怖に強張る。
 茶色い体を寝そべらせて、怪物が真っ黒い口をぽっかりと開けて鎮座していた。何てことはないただの鉱山の入り口であるにも関わらず、そこへ行ったきり家族の元へ戻れなかった労働者の無念が、次の挑戦者を呑み込もうと怪物の喉奥でとぐろを巻いているかのようだった。
 本当にこの奥で死体が眠っているのだろうか。
 つばあり帽の手がかりを探しに来たのにも関わらず、ココの頭の中を巡るのは「死の砂金」伝説のことばかりだった。「悉く死んで帰ってこなかった」という一文が、ココの不安を掻き立てる。
 自分も死体の一部になってしまったらどうしよう。でも、金砂を取りに来たわけじゃないから大丈夫だよね。怪物も、人殺しの雇い主も、いないよね。確認するように、何度も心の中でそう繰り返す。
 雨は次第に強さを増していた。早く洞穴に入るべきだとはわかっていても、中々足が言うことを聞かない。
 そんな中、己の心と格闘しているココの手を、キーフリーの手がすっと掬い上げた。

 「ココ」

 名を呼ばれ、はっ、とココは顔を上げる。柔和な顔つきで微笑む師がそこにいた。

 「僕がいるよ」
 「あ……」

 その言葉に、ココの不安は霧散する。
 そうだ、私には先生がいるんだ。
 そんな当たり前の事実が、錠剤のようにじわじわと溶け出してくる。心が温かくなり、前を向くだけの勇気が湧いてくるのを感じる。
 ココは息を吸うと、自分を掬ったその手を力強く握り返した。

 「……はい、大丈夫です。行きましょう」

 ——先生と一緒なら、どんな地獄にだって行ける。
 日の光の届かない暗闇へと、二人は歩き出していった。