Something wrong with you 3

 これは夢だ。何度も見ていた光景だったので、キーフリーはすぐにわかった。そして不快になった。自分はまだあの時の恐怖に縛られているのか、と。
 当時の感情に引きずられるかのように、キーフリーの心拍数が上がった。呼吸が浅く、速くなる。
 耳元でもう一人の自分が囁く。
 
 とられたものを、とり返せ。
 
 
 
 
 好きこそ物の上手なれ、というべきか、ココの物覚えの良さには目を見張るほどだった。持ち前の集中力に加え、貪欲とまで言えるほどの探究心によって、彼女の魔法の腕はみるみるうちに上達していった。普通の魔法使いとは懸かっている物の重みが違うとはいえ、教えたことをすぐに吸収していくココのことをキーフリーは好ましく思った。
 つい先日も、倒木を退かす魔法陣を描くよう指示したところ、彼女は完璧に成功してみせた。ココが初めて魔法に触れてから1週間ほどしか経っていなかったが、それを感じさせないほど精密な魔法陣だった。それならばこの課題もできるだろうと踏んだのだが。
 
 
 「燃えてるーーーッ!!」

 小屋中に悲鳴が響いた。キーフリーが燃えている魔法陣に水をかけると、あえなく鎮火した。ココが肩を撫でおろす。

 「うぅ、すみません……どうしても線がヘロヘロしちゃって」
 「うーん……」

 キーフリーは水で魔墨の滲んだ魔法陣を、目を凝らして見つめた。確かに矢のいくつかにブレが出ていた。

 「昨日はかなり正確に描けていたのにね」
 「はい。大きい魔法陣は迷いなく描けるんですけど、小さくなってくると、どうにも……」

 ココがしょんぼりと眉を下げた。 
 普通の魔法使いは小さい魔法陣ほど精度が上がる傾向にあるのだが、ココは逆のようだ。確かに彼女は仕立て屋で働いていたし、布の採寸もしていたから長い直線を書くのは得意なのだろう。

 「杖(ペン)が合わないのかな。人によって相性が分かれるんだよね。最初にあげたのは僕のお下がりだし……せっかくだから見にいこうか」
 「見にいくって、どこに?」
 「魔法の画材屋さん、魔材屋さんだよ」

 キーフリーがそう言うと、ココは可愛らしい小動物を前にした時のような緩みきった表情をして、手で頬を抑えた。

 「魔材屋さん……!」

 なんて素敵な響きなの、と感激に浸るココをよそに、キーフリーは支度を始めた。
 ここから一番近い魔法使いの街はカルンだ。そこにある魔材屋“星の剣”なら、キーフリーも何度か訪れていた。店主のノルノアはキーフリーのことを非常に気に入っていたし、言い包めやすい人柄だったのでキーフリーも良く思っていた。
 魔法使いの街に行くにはとんがり帽子を被らなければならない。確か第五の試験に合格した時、帽子のデザインのサンプル品として送られてきたものがあったはずだ。キーフリーは物置と化しているロフトに上がった。

 「あった」

 数年間手をつけていなかったその箱は埃が積もっていたが、中身は特に問題なかった。キーフリーが被っているものと色違いのデザインだ。一生使うことはないだろうと思っていたが、まさかこんなところで役にたつとは思っていなかった。
 ロフトから降りると、ココがその帽子を不思議そうに眺めていた。

 「これは?」
 「魔法使いが被る帽子。これがないと魔法使いの街に入れないんだ。ココにあげるよ」

 ココはその帽子を嬉しそうに受け取って、頭に嵌めた。

 「どうですか?」
 「似合ってるよ。小さい魔法使いさん」

 キーフリーがそう言うと、ココはひょわぁあ、という聞きなれない悲鳴を上げて、締まりのない笑顔を浮かべた。
 全く単純な娘だった。
 
 
 
 
 その街は川の中州にあった。街の中央にある見張り台を取り囲むようにして、大小様々な大きさの家が散らばっている。ココとキーフリーは街の端の方に降り立った。

 「すごい……! 魔法使いの街だ……!」

 右を見ても左を見ても魔法使いがいる。こんな光景は人生で初めてだった。ココがかつて城の祭りに行った時も、ここまでたくさんの魔法使いはいなかった。
 街のいたるところに魔法が溢れていた。噴水の底にも、小川にかかる橋にも、道案内の看板に至るまで、あらゆるところに魔法陣が描かれていた。夜になればこの石畳も光るのだろうか。ココの胸に興奮と感動が広がった。活気のある街を見渡すのに忙しく、首がちぎれそうだった。
 ココは真新しいものを見るたびにキーフリーを質問責めにしながら彼の後をついていった。キーフリーが泥森の街カルンの歴史を語るのを興味深く聞きながら歩いていた、その時だった。
 突如首元に視線を感じた。

 「……!」

 ココは半ば本能的にその気配の方を振り向いていた。しかしその方向には、人の気配もない路地裏がひっそりと伸びているだけだった。

 「どうしたの?」

 前を歩いていたキーフリーが不思議そうに振り返る。気のせいだったのだろうか。ココはキーフリーを見上げて首を振った。

 「いえ、なんでもないです」
 「……そう? じゃあ行こうか。魔材屋さんはすぐそこだよ」

 階段を昇るキーフリーの後を追いかけながら、ココはもう一度視線を感じた方向を振り返った。昼下がりの路地裏にはやはり誰もいなかった。
 
 
 魔材屋“星の剣”に入ると、ココの頭からは先ほどの視線の件がすっかり消え去った。

 「わぁ……!」

 ココは感嘆のあまり息を呑んだ。
 店の中央には巨大な木が生えていて、それを螺旋階段が取り囲んで二階へと続いていた。天窓からの陽光が大樹の枝を柔く照らし、半ば時が止まったような静けさを醸し出している。
 と、螺旋階段から白い髭を蓄えた老人がゆったりと降りてきた。奇抜な眼鏡をかけ、ココのものとはデザインが異なるとんがり帽子を被った老人は、キーフリーの姿を認めると嬉しそうに笑った。

 「キーフリー! 久しぶりじゃの」
 「お久しぶりです、ノルノアさん」

 キーフリーは人好きのする笑みを浮かべて、店主ノルノアに会釈した。二人は知り合いのようだった。

 「しばらく見ない間に弟子を取っていたとは、お前さんも成長したもんじゃな」

 ノルノアの視線がこちらに向くのを感じて、ココは背筋を伸ばした。キーフリーがそっとココの背中に手を回す。

 「ええ、こちらはココ。まだ弟子になったばかりなんです。僕にとっても初めての弟子なので、試行錯誤の日々ですよ」
 「こんにちは、ノルノアさん。私はココと言います」

 ココがそういうと、ノルノアは機嫌良さげに頷いた。人柄の良さそうな老人だった。

 「それで、今日は何をお求めかな? 杖も魔墨もなんでもござれじゃ」
 「この子に合う杖を探しているんです。それと、僕の方は紙を注文したくて」

 キーフリーがノルノアと話をしている間、ココは色々なペンを手にとって試し書きをしていた。

 「へぇ……」

 この店の商品は全てノルノアと彼の孫が手作りしているそうだ。確かにどのペンも手の馴染み方が違った。重さや重心の位置、書き心地など、試し書きをしているうちに段々と違いがわかってくる。ココは時を忘れて商品全てをじっくりと眺めていた。一日でも一週間でもいられそうだった。
 ずっと俯き加減だったので、首が疲れてきた。ふと顔を上げると、窓の外に、“それ”はいた。
 
 その奇妙な仮面を、忘れるべくもなかった。
 
 「つばあり帽……!」

 もはや杖選びなど眼中になかった。ココは店の玄関から大通りに飛び出した。

 「ココ!」

 ココの足音に気づいたのか、キーフリーが追いかけてくる。しかしココの足は止まらなかった。
 間違いない、あれは私に絵本を売った人だ。絶対に捕まえて、絵本の内容について聞き出さなきゃ。
 心拍数が上がり、嫌な汗が吹き出てくる。ココはつばあり帽を必死に追いかけ、無我夢中で走っていた。つばあり帽の逃げ足は速かった。あれだけ目立つ仮面とローブなのに、なぜ誰も止めないんだろう。誰か捕まえて、と本気で祈ったが、街の人々は全速力で走るココを不思議そうに見つめるだけだった。
 つばあり帽が路地を曲がり、ココもその角を曲がった。姿は見えなかったが、その路地を抜けた先にいるはずだと走り抜け、そして、足を止めた。

 「ここは……どこ?」

 カルンとはまるで街並みが違った。絵本の中に迷い込んだかのような、無機質で扁平な世界がずっと続いていた。二次元の世界に迷い込んでしまったのだろうか、と目を凝らして周囲を見回す。そしてココはとうとう自らの目を疑った。
 明らかに立体的な構造物が、いや、どう見ても神話の世界から抜け出たとしか思えないような巨鱗竜(ドラゴン)が、壁を何枚か隔てた向こうに鎮座していた。獲物を探しているかのように首を動かしている。
 狙われたら死ぬ、と直感的にそう思った。禁止魔法を使った時より遥かに濃い死の匂いがした。

 「ひっ……!」

 悲鳴をあげそうになる口を押さえ、ココは一歩後ずさった。しかし、何かにぶつかった。今度こそ心臓が口から飛び跳ねそうだった。

 「…………!」

 振り返ると、そこにはもう一人のココが、微笑を浮かべて立っていた。
 
 
 
 
 ココを追って走っていたキーフリーは、俄にその足を止めた。ココを見失ったことに加え、路地裏を抜けた先の景色がまるでカルンとは似ても似つかなかったからだ。迷路のようにどこまでも続く白い壁の向こうに、これまた白い廃墟のような街並みが続いていた。
 人の気配がしなかった。人だけではなく、生命の気配がしなかった。遠くに中型の巨鱗竜の姿が見えたが、それ以外にこの世界の住民はいないようだった。今の所ココの姿は見つからなかった。
 ココもこの世界に迷い込んだのだろうか? だとすれば早めに保護する必要があった。キーフリーにとっては巨鱗竜を無力化することも容易かったが、今のココが狙われれば無事では済まないはずだ。一歩足を踏み出した、その時だった。

 「……ッ!!」

 強烈な殺気を感じて、キーフリーはそれを認識するより早く、本能的に身を伏せていた。ほぼ同時に、先ほどまでキーフリーが立っていた、その首の辺りの空気が斬られる音がする。キーフリーは首だけで後ろを振り返った。
 もう一人のキーフリーが、殺気も露わに剣を構えて立っていた。