ビスケットとチョコレート

ある日の午後。
キーフリーは自室のソファに寝転がって本を読んでいた。優雅な休日のひと時だ。ここのところ大講堂での仕事が溜まっていて中々本を読む時間が取れておらず、読もうと思って“積ん読”していた本がだいぶ溜まっていた。
最後の一ページを読み終え、次の一冊に手を伸ばす。その時、部屋のドアが音を立てて開かれた。

「先生!ポッキーゲームしましょう!」

満面の笑みを浮かべたココが、何やらお菓子の箱を手に持ってキーフリーの元に近づいてくる。キーフリーは上体を少し起こしてココとお菓子を交互に見つめた。

「ポッキーゲーム?」
「はい。このお菓子を両端から食べて、多く食べたほうが勝ちです!」

そう言うと、ココは袋から棒状の菓子を一本取り出した。棒状のビスケット生地にチョコレートがかかっている。キーフリーにはあまり聞き馴染みのないゲームだったが、とりあえずルールは把握した。しかし、それにしても。

(中々大胆なことを言うなぁ)

このゲームではお互いが半分食べれば唇が重なってしまう。おそらくそうなる前に恥ずかしくなって降参した方が負け、ということなのだろう。彼女がこういったことを持ちかけるのは珍しかった。恋人らしいことをしようとして毎回恥ずかしがるのはココの方なのに、溢れ出すこの自信は一体どこからくるのか。キーフリーは提案に乗ることにした。

「良いよ」

菓子を手にとって、口に咥える。ココは「いきますよ!」とやる気満々にそう言うと、そっとソファに手足をついて上体を屈ませた。僅かに露わになった胸元に視線がいくのを堪える。形のいい唇が菓子に吸い寄せられていった。

「あーん」

さく、という微かな音がココの唇に吸い込まれていく。キーフリーも菓子を齧ると、ビスケット生地の香ばしい風味とチョコレートの甘さが口に広がった。ざくざくざく、と4分の1ほど食べ進めたところでココを見ると、彼女も同じくらい食べたところだった。目と目が合い、ココがぱちりと瞬きする。そしてその瞬間、ココは顔を真っ赤に染めた。

「〜〜〜!」

思ったより顔が近くて恥ずかしい、だけど自分から言いだした手前やめるなんてできない。ココの思考がダダ漏れになっている表情を見て、キーフリーは苦笑した。

(今更気づいたの?)

意気揚々と勝負を挑んでくるからには何か勝算があるのかと思ったが、この恥ずかしがり方を見るに特にないらしい。単純にポッキーゲームをやってみたかっただけなのか。

——それとも。

ココの髪の匂いが鼻腔をついた。久しぶりに嗅いだ気がする。ここのところ忙しくて中々彼女を構ってやれなかったことを思い出し、少し胸が痛んだ。

(もしかして、寂しがってる?)

この大胆な遊びは、せっかくの休みなのに構いもしないで読書に耽る恋人への意趣返しなのかもしれない。そういえば、先ほど買い物に出かけてくると言ったココの声がどことなく拗ねていたような気がする。
ただ、それで大人しくやられてやるほどキーフリーも甘くなかった。

「んっ!!」

ココの腰に手を添える。3センチほど菓子を一気に齧ると、ココとの距離が一気に縮まった。見開かれた彼女の瞳に、自分の顔が映り込んでいる。

(いいの?負けちゃうよ?)

そう目で問うと、ココが意を決したように眉を吊り上げた。顔を真っ赤にしながらも、さく、さくと少しずつ菓子を食べ進める。どうやら彼女も素直に負けてくれるつもりはないらしい。
彼女との距離、残り3センチ。唇にチョコがついているのが見える。
ザク。残り2センチ。ココは耳まで赤くなっている。
ザク。残り1センチ。唇が震えている。それを見て、キーフリーは目を閉じた。
残り短い菓子はあっけなくキーフリーの口に吸い込まれ、唇が重なった。

「……!」

ソファが二人分の体重を預けられて微かに軋む。ココの唇についていたチョコの甘さがじわりと滲んだ。いや、チョコだけではない。もっと脳の奥まで溶かしきってしまうような、肌の輪郭を溶かしてしまうような、そんな味の持ち主なんてこの世に一つしかいない。
菓子の残りを探すかのように、彼女の口内を舌で探る。控えめに差し出されたココの舌を甘噛みすると、か細い喘ぎ声が漏れた。ぎゅっと縋るように上着を掴まれる、その姿にもう完全にスイッチが入ってしまったことを自覚する。

(今日は優しくできないかもな)

そんなことを思いながらくるりと体を反転させ、ソファにココを押し倒した。ほんのり頰を上気させ、期待に潤んだ目でキーフリーのことを見つめているその姿に、キーフリーの唇がつり上がる。

「ポッキーだけじゃ足りないな」

再び唇が重なった。チョコとは違う甘い味がした。