12 I doll

 「Hallo! カグヤ!」
 「おはよう、アスカ」
 
 アスカが日本に来てから数日が経った。カグヤと同じ第壱中学校の制服に身を包んだアスカが、朝から元気に声をかけてくる。カグヤは眠い目を擦って挨拶を返した。
 
 「どうしたのよ、カグヤ。元気ないわね」
 「寝不足なだけ。大したことないよ。それより、学校には慣れた?」
 「ふん、このあたしを誰だと思ってんのよ。あんたの人気も全てかっさらってやるんだから」
 「ははは……」
 
 ハーフの帰国子女であるアスカへの人気は大変なもので、学校ではアスカのブロマイドが秘密裏に取引されているほどだった。そういう外見的な面においては既にカグヤの人気を軽く凌駕しているのだが、それを言っても逆にアスカの機嫌を損ねそうなのでカグヤは黙っておいた。
 しばらく並んで歩いていたアスカは、急に「あっ」と声をあげて、前へと走り出した。
 
 「シンジ! Guten morgen!」
 
 アスカに挨拶交じりに肩を叩かれた男子生徒、つまりシンジはやや困惑めいた顔で挨拶を返した。
 
 「ぐ、ぐーてんもるげん……」
 「またまた、朝から辛気臭い顔して。このあたしが声かけてんのよ、ちょっとは嬉しそうな顔しなさいよ」
 「そう言われても……」
 「おはよう、シンジ」
 「あ、カグヤ。おはよう」
 
 二人の元に追いついたカグヤは、シンジに片手をあげた。シンジも挨拶を返す。
 カグヤが驚いたことに、アスカとシンジは思ったより上手くやっていた。エヴァに関わらないことであればそこまでアスカのプライドが刺激されない、ということもあるのか、幸いなことに、学校でアスカがシンジに突っかかることがほとんどなかった。やや上から目線なところはあるが、シンジもそのくらいなら許容範囲のようだった。二人の共通の友人であるカグヤとしては、肩の荷が降りた気分だ。
 しかしまだ懸念事項は残っている。アスカが「それで」と口を開いた。
 
 「ここにいるんでしょ、もう一人」
 「誰が?」
 「レイのこと?」
 
 カグヤがそう言うと、アスカが頷いた。カグヤの胸に僅かな不安が広がる。
 懸念事項とはレイのことだった。
 たった一年ではあるがアスカと共に過ごし、彼女の性格を少なからず知っているカグヤにとって、レイはまず間違いなくアスカと上手くやれない人物の一人だった。かといって、エヴァのパイロットという強固な繋がりがある以上関わりを避けるわけにもいかない。
 カグヤは溜息をついた。
 
 「この時間なら、中庭で本を読んでると思う。行こう」
 
 カグヤを先頭に、シンジとアスカがついてきた。
 
 
 思った通り、レイは中庭で本を読んでいた。木陰のベンチに座り、僅かに降り注ぐ木漏れ日を浴びて読書に耽っているその姿は、まるでどこかの名家のお嬢様のようだった。
 カグヤが声をかけようとする前に、アスカがつかつかと彼女の前へ進んでいった。
 
 「Hallo! 貴方が綾波レイね。プロトタイプのパイロット」
 
 その声に、レイが読んでいた本からゆっくりと顔を上げた。遠目に見ても睫毛が長いな、とカグヤはしみじみ思った。
 
 「あたし、アスカ。惣流・アスカ・ラングレー。エヴァ弐号機のパイロットよ。仲良くしましょ」
 「どうして?」
 
 レイがそう言うので、カグヤは余計に不安になった。元からあまり愛想が良いとは言えない彼女だったが、今日は、というよりアスカに対しては一段と冷淡なように思われた。
 しかしアスカもそこで面食らうような性格ではなかった。
 
 「そのほうが都合が良いからよ。色々とね」
 「命令があれば、そうするわ」
 「レイ」
 
 氷点下に冷え切った二人の会話に、カグヤは割って入った。レイが今度は幾分か友好的な視線を向けてくる。
 
 「アスカは私がドイツに留学してた時に出来た友達なんだ。きっとこれから四人での作戦行動もあるだろうから、仲良くしてやってくれないか」
 
 アスカが「仲良くして“あげる”のはあたしの方」と言わんばかりに睨みつけてくるが、カグヤはあえてそれを無視した。
 レイは本を畳むと、目を閉じて息を吐いた。
 
 「……わかったわ」
 
 その言葉に、カグヤはひとまず当面の不安要素が解決したと安堵の溜息をついた。後ろにいたシンジが、小声でカグヤに囁く。
 
 「すごいね。綾波を説得するなんて」
 「……まあね」
 
 いつもならカグヤは「たまたまだ」と謙遜するところだが、今回は、というよりレイに関しては違った。
 
 「5年来の付き合いだから」
 
 そう言って、レイを見る。人形のように端正な顔が、カグヤを見つめていた。
 
  *   *   *   *   *   * 

 その日の放課後、第3新東京市の案内を頼まれたカグヤは、アスカと共に帰るべく昇降口へと向かっていた。
 
 「こっちにも当然、おしゃれな服屋とかカフェとかはあるんでしょうね」
 「知らないけど、あんまりないと思うよ」
 「えぇー! 日本って遅れてるのね」
 「そうじゃなくて。ここは使徒迎撃のために作られた街で、一応日本の首都は第2新東京だから」
 「ふぅーん……」
 
 興味なさげにアスカが相槌を打つ。何気なく彼女が自身の下足箱を開けると、中からざらざらと大量のラブレターが出てきたのでカグヤは目を瞬かせた。
 
 「すごい量」
 「……ええ」
 
 その声が妙に固いことに気付いて、カグヤはアスカに目を向けた。
 アスカは凍りきった眼差しで、散らばった手紙を見下ろしていた。その量にうんざりしているというよりは、貰ったラブレターそのものに対する嫌悪感を隠しきれないような瞳だった。
 アスカは吐き捨てるように言った。
 
 「この男達があたしの何を見ているっていうの? 外見だけじゃない」
 「でも、外見だって人を好きになる立派な理由の一つだよ」
 
 緊張しながらラブレターを書いたであろう男子生徒の心情を最大限思いやってカグヤはそう言ったのだが、アスカは敵意の篭った眼差しでカグヤを睨むだけだった。
 
 「はっ! あんたは外見“だけ”で好きになられたことがないからそう言えるのよ」
 
 カグヤは困り果てて眉根を寄せた。
 カグヤにだって告白された経験がないわけではない。というより、人並み以上にはあった。それも男女問わずだ。ただ、大抵の場合彼らはカグヤの頭脳や運動神経などの能力に惚れて好意を伝えてくるので、確かにアスカの言う通り外見“だけ”で告白されることは無かった。彼女には彼女なりの苦しみがあるのだろうが、それをわかってやることは今のカグヤにはできなかった。
 何も言えないでいるカグヤをよそに、アスカは上履きでラブレターを踏みつけにした。ぐしゃりと悲しい音がして、紙片に皺が寄る。下足箱周辺に人がいないのが救いだった。
 
 「くだらないわ、こんなもの」
 「……アスカ」
 「バッカみたい! あたしはお澄まししてニコニコ笑ってるだけのお人形じゃないのよ!」
 「アスカ!」
 
 “好意”を踏みにじるアスカの目にいよいよ殺意のようなものが宿っているのを感じ、カグヤは彼女の肩を掴んだ。それと同時に、二人の携帯端末が一斉にけたたましい音を立てた。
 ——使徒だ。
 はっとして端末を確認すると、次のような文面が踊っていた。
 
 『紀伊半島沖にて使徒を確認。初号機ならびに弐号機パイロットは直ちにNERV本部へ急行されたし。零号機、10号機パイロットは別命あるまで本部にて待機』
 「……じゃ、あたしは行くわ」
 
 使徒襲来の報は、熱くなった彼女の頭を冷やすのに十分なようだった。弐号機パイロットであるアスカは、靴を履き替えるとさっさと走り去ってしまった。
 カグヤには待機命令が出ているので、そこまで急いでNERVに向かう必要はない。カグヤは散らばったラブレターを拾い集めると、蓋のあるごみ箱にそっと捨てた。
 この中の一体何通が、彼女の内面に一文でも触れているのだろう。これらの差出人のうち一体誰が、彼女の孤独を癒せると言うのだろう。
 ごみ箱を前に、カグヤは瞑目して呟いた。
 
 「……せっかく書いてくれたのに、ごめんね」
 
 大量の薄っぺらい好意が、暗闇の中で沈黙していた。
 
   *   *   *   *   *   * 
 
 結論から言えば、初号機と弐号機は使途を前に歴史的大敗を喫した。
 プロジェクターから投影される映像を見ながら、カグヤは溜息をついていた。眼前ではシンジとアスカが、バスタオルに包まれながら互いにいがみ合っている。
 
 「もう! あんたのせいでせっかくの日本でのデビュー戦がめちゃくちゃになっちゃったじゃない!」
 「何言ってんだよ、惣流が間抜けなことしたからじゃないか!」
 
 スクリーンに映るのは、海と山にそれぞれ頭から突っ込んでいる初号機と弐号機の姿だった。
 上陸直前の使徒を水際で叩く、というまさしく水際作戦に駆り出された初号機と弐号機は、弐号機の活躍で使徒を一刀両断したものの、二体に分裂した使徒によって手も足も出ないまま攻撃を喰らい沈黙した。その後国連軍が投下したN2爆雷によって使徒も大打撃を負ったが消滅させるには至らず、使徒は依然駿河湾上に存在している。つまり、ネルフの完全なる敗北だ。
 同じく映像を見ていた冬月副司令が唸った。
 
 「いいか、君たち。君たちの仕事はなんだかわかるか?」
 「エヴァの操縦」
 
 アスカが即答し、冬月が溜息をついた。
 
 「違う! 使徒に勝つことだ。このような醜態を晒すために我々NERVが存在しているのではない! そのためには君達二人が協力しあって……」
 「「なんでこんな奴と!!」」
 「もういい……」
 
 シンジとアスカがまだ睨み合っているので、冬月は呆れたようにその場から去って行ってしまった。カグヤも頭がズキズキとし始めた。
 
 (せっかく仲良くやれてるかと思ったのになぁ……)
 
 カグヤは目を閉じた。
 ドイツにいた時から知っていたことだが、アスカはエヴァが絡むと途端に扱いづらくなる。とりわけ“エヴァンゲリオン初号機パイロット”たるシンジには、それが顕著だった。初めてシンジと会った時、つまり新横須賀の海上で使徒と戦っていた時に彼に助けられたのがよほど応えているのか、彼に対する敵対心を隠そうともしない。シンジにもパイロットとしてのプライドがあるので、大人しくアスカの言いなりになってくれるわけもない。
 いくら初号機と弐号機が個として優れた性能を持っていても、足を引っ張りあっては意味がない。
 これならどちらかの代わりに自分が出た方がマシだった、と思いながら、カグヤがNERVの廊下を歩いていたその時だった。
 
 「……カグヤ」
 
 背後から、鈴の鳴るような声が聞こえてきた。カグヤははっと振り返った。
 
 「レイ! どこ行ってたの? 探したんだよ」
 
 綾波レイだ。彼女は第一種戦闘配置が敷かれている間は命令通りカグヤと共に待機していたのだが、初号機らが敗北し、NERVから国連第2方面軍に指揮権が移るそのゴタゴタに紛れてどこかへ消えてしまったのだ。反省会をするので集まるようにと言われ、カグヤはレイを探したのだが見つからなかった。
 カグヤの追及に、レイは目を逸らした。後ろめたいことをしていたというよりは、単純に詮索してほしくないように見えた。
 
 「……別に。それより、葛城一尉が呼んでるわ」
 「ミサトさんが? 何だろう」
 「作戦発表だそうよ」
 
 その言葉に、カグヤは目を瞬かせた。
 
 「まさか、もう出るの?」
 「詳しいことは知らないわ」
 
 レイが首を振る。確かに彼女が知るわけもない、とカグヤも頷いた。
 
 「わかった。行こう、レイ」
 「ええ」
 
 カグヤはレイの後に付いていった。二人並んでNERVの廊下を歩くのが、なぜだか無性に懐かしかった。