10 We are friends, aren’t we?

 太平洋を横断する船のデッキで、少女はぼんやりと朝日の差し掛かった水平線を見つめていた。その隣に、飲み物の缶を持った男性が近付いて来る。
 
 「おはよう、アスカ。調子はどうだい」
 「まあまあね。そろそろ船旅にも飽きてきちゃったわ」
 「ははっ、もうすぐ日本に着くから我慢してくれ」

 加持はそう言うと、オレンジの描かれた缶ジュースをアスカに渡した。プルトップが開く小気味良い音が、波の音にかき消される。口に含んだジュースは酸味が程よく効いていた。
 
 「新横須賀には、セブンスチルドレンが迎えに来てくれるそうだよ。あの子もエヴァを動かせるようになったんだ。パイロット同士、積もる話もあるだろう」
 「セブンス……そう、あのポンコツカグヤがね」
 
 アスカは物思いにふけるようにじっと水平線の向こうを見ていたが、やがてにっこりと花の咲くような笑みを浮かべて加持を見つめた。
 
 「加持さんはカグヤと会ったことないんでしょ?」
 「ああ。どんなパイロットかは知ってるけど、直接会ったことはないな」
 「カグヤはパイロットとしてはポンコツだけど、性格はすごく良い子よ」
 「君が手放しで他人を褒めるなんて珍しいな」
 「もう、何それ。……」
 
 ふと、アスカは何か言葉を続けようとして躊躇った。それは、加持の前で遠慮していたからというよりは、自分でどんな言葉を続ければ良いのか迷っているようでもあった。
 彼女の話をする時、アスカは珍しい顔ばかりする。
 いつも加持の前では精一杯背伸びして大人ぶろうとするアスカに、思春期の子供らしく曇った顔をさせる“如月カグヤ”とは一体どんな人間なのだろう、と加持は興味をそそられた。

 「……ま、カグヤのことは関係ないわ。それよりも、日本に着いたら加持さんと会えなくなっちゃうことの方が、私には大問題」
 
 そう言ってアスカはジュースを一気に飲み干すと、「お腹が空いたわ」と客室に戻っていった。
 加持はしばらく海を見つめていたが、やがてその後を追った。

 *   *   *   *   *   *
 
 「この前はJ.A.を止めてくれてありがとう。中々大変だったね」
 「僕もまさかミサトさんがあんなことするなんて思ってなかったよ」
 
 カグヤがJ.A.の実演会に行った翌週、久々にNERVで顔を突き合わせたシンジとカグヤは、自販機前の休憩所でお喋りに興じていた。学校ではカグヤもシンジも忙しく、中々ゆっくり話している時間は取れない。ましてエヴァや使徒に関することは、部外者もたくさんいる学校では到底話せなかった。
 
 「初号機の汚染も無くてよかったね」
 「本当にね。そういえば、カグヤは高校行くことにしたの?」
 「ああ、うん。父さんに話したら、オッケーしてくれた」
 
 実演会から帰ってきた後、カグヤは父親に高校に行くことを本格的に打診した。エヴァに乗ること以外で、自分が誇りに思えることを見つけたい。そのためには学力が必要だと。そう言うと父親はあっさり進学を許可してくれた。カグヤの言った理由に満足したようだった。
 今日の三者面談でも、カグヤの成績なら都内のどの高校でも行けると言われ、大した話もしないまま早々に引き上げられた。出席日数が足りないのではと心配していたが、使徒との戦闘、およびそれによる負傷での欠席は公欠扱いになるらしい。
 話を聞くと、どうやらシンジもカグヤと同じ高校を志望しているようだった。高校も同じだと心強いね、などと話していると、休憩所にミサトが現れた。
 
 「二人とも、まだ帰ってなかったのね」
 「ミサトさん」
 
 上司ということもあり、二人は揃って椅子から立ち上がった。それを、「良いの良いの」とミサトが制する。彼女はまっすぐカグヤの方を見つめた。
 
 「カグヤちゃん、今週末空いてる?」
 「はい、特に予定はありません」
 「そっか。じゃ、そのまま空けといて。新しいパイロットを迎えに行くから」
 「新しいパイロット?」

 予想もしていなかった言葉に、シンジとカグヤは目を丸くする。しかしカグヤは心当たりがあることに気が付き、口を開いた。
 
 「まさか、アスカが日本に来るんですか」
 「ご名答〜! カグヤちゃん、アスカと友達でしょ? だから迎えに来てもらおうと思ったのよ」
 「そうですか」
 
 ミサトの明るい顔とは裏腹に、カグヤはその顔に僅かな陰を落とした。会話についていけないシンジが「アスカって?」と首を傾げるので、カグヤは説明した。
 
 「昔、私がドイツに1年間いた時にできた友達だよ。エヴァンゲリオン弐号機のパイロットで、すごく優秀な女の子」
 「ふぅん……」
 
 カグヤの浮かない顔に気付いたのか、シンジも納得したようなしていないような、曖昧な表情を浮かべる。
 数秒の沈黙の後、ミサトが続けた。
 
 「じゃあ、そういうことでよろしく。日曜の朝10時に家まで迎えに行くわ。シンちゃんは、お留守番よろしく」
 「僕は行かなくて良いんですか?」
 
 そう言うシンジの顔が少し嬉しそうだったので、カグヤは目を丸くしてシンジを見つめた。
 
 「何か用事あるの?」
 「うん。トウジとケンスケと、遊びに行くことになったんだ」
 「それは良いね」
 
 思わずカグヤは破顔した。シンジの周りには自分を始め女子ばかりだったので、気兼ねなく過ごせる同性の友人がいるのだろうかと心配していたのだが、その必要は無さそうだった。トウジやケンスケならパイロットに対する理解もあるし、きっとシンジの良い友達になるだろう。

 「使徒の襲来に備えて、あまりNERVから離れたところには行かないでね。ま、シンちゃんはわかってるだろうけど」
 「はい!」
 
 そう言うと、ミサトもにこにこと嬉しそうに笑みを浮かべ、「じゃあね」と二人の前から去っていった。しばらく和やかな雰囲気が漂っていたが、急にシンジが「あ」と息を飲んだ。
 
 「ごめん、僕だけこんなに浮かれてて。カグヤは仕事だもんね」
 「いや、全然気にしないで」
 
 カグヤは苦笑し、「仕事か」と口の中だけで呟いた。
 瞼の裏に、真っ赤なプラグスーツの色が蘇る。
 
 「……気にしてないからさ」
 
 それは本心だった。

 *   *   *   *   *   *
 
 アスカを迎えに行く、とは聞かされていたものの、どこに迎えに行くのかまでは聞かされていなかったカグヤが連れて来られたのは、新横須賀近海に浮かぶ正規空母『オーバー・ザ・レインボウ』の上だった。カグヤ達が乗る船に加えて、海上には他の空母や戦艦が所狭しと浮いている。全て、エヴァ弐号機の護衛のために用意されたものだ。
 操縦室を抜けて飛行甲板の上に降り立ったカグヤは、吹き抜ける潮風の向こうに、よく知っている赤茶色の髪を見た。
 
 「久しぶり、アスカ」
 
 そう声をかけると、彼女はくるりと振り向き、黄色のワンピースを風にひらめかせた。その口元には、あの時と何一つ変わらない勝気な笑みを浮かべている。
 アスカのヒールがカツカツと音を立てた。
 
 「Hallo,カグヤ。久しぶりね。ミサトも」
 「ええ。三人で集まると、ドイツにいた頃のことを思い出すわ」
 
 そう言ってミサトは懐かしそうに笑った。アスカもにっこりと美しい笑みを浮かべたが、やがて何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回した。
 
 「サードチルドレンはいないの?」
 「ええ、シンジくんは第三東京で待機よ。そう逸らなくてもすぐに会えるわ」
 「そう。どんな冴えない顔してるのか拝みたかったんだけど、残念ね」
 「変わらないね、アスカは」
 
 口調に混ざる棘にカグヤが苦笑していると、アスカが心外だと言わんばかりにこちらを見た。
 
 「変わったわよ。背も伸びたし、昔よりずっと大人らしくなったでしょ? 主に体つきが」
 「ああ、そういう……」
 「カグヤは変わらないわね」
 
 カグヤの顔ではなく胸部を見て、アスカは真剣な顔でそう言った。「悪かったね」とカグヤも思わず応じてしまう。
 そんなやりとりをしていると、いつの間にかミサトの背後に長髪の男が現れ、その肩にポンと手をかけた。
 
 「よっ、ミサト」
 「加持先輩!」
 
 アスカの黄色い声が響く。しかし、それとは対照的に、ミサトはその声を聞いた途端みるみる顔を青ざめさせた。
 ぎこちなく振り返ったミサトは、わなわなと唇を震わせた。
 
 「な……なんであんたがここにいるのよ!」
 「アスカの付き添いさ。ドイツから出張だよ」
 
 顔を引きつらせて仰け反るミサトを置いて、男はカグヤに微笑みかけると、その目の前に跪きカグヤの手を取った。
 
 「初めまして、如月カグヤちゃん。俺は加持リョウジ。君に会えて嬉しいよ」
 
 そう言うと加持はカグヤの手にその唇を寄せた。まるで姫の手に口付ける騎士のようだ。驚いたカグヤが身を強張らせると、上目遣いで挑発的に唇を釣り上げた加持と目が合った。その途端、パッと手が離される。
 カグヤは思わずその手を反対側の手で撫でていた。
 
 (び、びっくりした)
 
 突然のことに動揺し、うまく声が出ない。
 しかしその光景に、本人以上に顔を青くしている者が二人いた。
 
 「ちょっと加持さん、どういうこと!? あたしにもそんなことしてくれたことないじゃない!」
 「ちょっと加持、何やってんのよ! カグヤちゃんにも手を出すつもり!?」
 
 怒り狂ったミサトとアスカの猛攻撃をも気に介さず、加持は風にそよぐ新緑のような微笑みを浮かべている。
 
 (不思議な人だ……)
 
 飄々としていて、親しみやすい割りに何を考えているのかよくわからない。
 カグヤが探るように加持を見つめていると、そこへ太平洋艦隊の水兵が現れた。
 
 「葛城一尉、艦長がお呼びです。どうぞこちらへ」
 「……わかったわ。行きましょう、アスカ、カグヤ」
 「じゃあ俺は食堂で待ってるよ」
 「待たなくていいわよ!」
 
 にこやかに手を振る加持に、ミサトは噛みつくようにそう言った。
 
  *   *   *   *   *   *
 
 艦長の長い小言を聞き終えたカグヤ達は、食堂で兵士らに混ざって昼食を取っていた。
 待たなくていい、と言いながらも結局加持の待つ食堂に来るのだから、ミサトも健気なものである。そんなカグヤの視線に気付いたのか、ミサトは苦々しげに目を細めて「食事のためよ、食事の」と言っていた。
 ミサトも加持も、元軍人なだけあって食事を済ませるのが早かった。食後のコーヒーを飲んでいる彼女らを尻目に、カグヤはのんびりとカレーを掬っていた。
 
 「今、付き合ってる奴いるの?」
 
 何やらいかがわしい雰囲気を漂わせながら、加持がミサトに尋ねる。それを聞き、ミサトの眉間に皺が寄った。
 
 「それが貴方に関係あるわけ?」
 「あれ? つれないなぁ」
 
 その会話を聞いて、カグヤは不思議に思った。普段のミサトはそこまで他人に邪険に接するタイプではないのに、なぜ加持のことだけこうも明らかに避けているのか。しかも加持はミサトに対してとても友好的に接しているというのに。
 アスカも何か思うところがあるのか、二人のことをじっと横目で見つめていた。
 
 「なーんか、怪しい」
 「何が?」
 
 カグヤがそう言うと、アスカは「見てわからないの?」と呆れたような視線を向けてきた。
 
 「二人の仲が怪しいって言ってるの」
 「仲って、まぁ悪そうだけど」
 「そうじゃなくて……あんたって本当に何一つ成長してないわね」
 「だから、何の話だよ」
 
 だんだんと険悪になっていく二人の会話に気付いたのか、加持が「まあまあ」と割って入った。
 
 「俺達は仲の良い友人だよ。そうだろ?」
 「誰があんたと……!」
 「ミサトさん、加持さんのこと嫌いなんですか?」
 
 カグヤが率直にそう尋ねると、ミサトは仲間に銃で撃たれたかのような顔をした。それどころか、アスカまでぎょっとした顔でカグヤのことを見つめている。唯一加持だけが、にやにやとミサトの様子を伺っていた。
 ミサトは何か言葉を探すように視線を泳がせた。
 
 「き、嫌いって、そんな……ただ……」
 「ただ?」
 
 唇の端を吊り上げた加持と視線が合い、ミサトの顔は真っ赤になった。
 
 「っ、だーーー!! 嫌いよ、嫌い! こんな軟派な男、誰が好きになるもんですか! もうこの話はおしまい!」
 
 そう叫ぶとミサトは食器を下げ、足早に食堂を去ってしまった。呆然としたカグヤと、ため息をつくアスカと、苦笑する加持がその場に取り残される。
 
 「ミサトさん、どうしたんだろう」
 
 カグヤがそう言うと、加持が苦笑した。
 
 「俺とミサトは昔、付き合ってたんだよ。もう随分前の話だけど」
 「えぇーーーーーーっ!?」
 
 アスカが悲鳴をあげて加持を見る。カグヤも顔から血の気が引いた。ミサトの地雷を踏んだであろうことに対してだ。
 
 「す、すみません。私……失礼なことを」
 「君が謝るようなことじゃないさ」
 
 加持はそう言うが、いくらなんでも元彼のことを「嫌いなんですか」とミサトに聞くのは不味すぎた、とカグヤはひたすら自省していた。同時に、アスカの言っていた「成長していない」という言葉が今更胸に突き刺さってくる。
 だからアスカがあれほどぎょっとした顔をしていたのか。
 その当人は加持とミサトが付き合っていたというショックからか、テーブルに肘をついて何やらぶつぶつと呟いている。
 
 「加持さんってばあんなのがタイプなの? 信じらんない……」
 「私……ミサトさんに謝ってきます」
 
 ミサトの気分を害してしまった以上は早く謝るべきだと思い、カグヤは立ち上がった。その腕を、加持がそっと掴む。
 はっとして加持を見ると、彼は父親を彷彿とさせるような優しい目をしていた。
 
 「気にするな。大人のいざこざに巻き込んだ、俺達が悪いんだ」
 「でも……」
 「ああもう、うっとおしいわね! 行くわよ、カグヤ。弐号機を見に行きましょう」
 
 立ち上がったアスカがカグヤの腕を引っ張る。加持は掴んでいた手を離すと、その手を顔の横で穏やかに振っていた。
 
  *   *   *   *   *   *
 
 甲板に二人分の足音が響く。
 
 「ミサトさんに悪いことしちゃったな……」
 「気にしなければいいじゃない。あんたが恋愛に疎いのは今更なんだし」
 
 アスカに手を引かれながら、カグヤは弐号機の格納庫へ続く道を歩いていた。ドイツにいた時も、よくこうしてアスカに手を引かれていたことを思い出す。今のように、アスカが落ち込んだカグヤの気分を晴らそうとしてくれる時もあれば、ただ怒っているアスカに連れ回されるだけの時もあった。
 
 「あたしからすれば、あんたがそんなにくよくよしてることの方が信じらんないわ。ミサトを傷つけたからなんだっていうの?」
 
 思わぬ言葉に、カグヤはアスカの後頭部をまじまじと見つめた。
 
 「あたし達はエヴァのパイロットで、ミサトは司令官なのよ。ミサトだって、あたし達にエヴァに乗る以上のことは求めてないわ。気遣いなんてどうでもいい。エヴァに乗って活躍すれば、それでいいのよ」
 「それは……違うでしょ」
 「何が?」
 
 アスカが振り返る。何が違うのか、それを面と向かって問われるとカグヤは言葉に詰まった。
 
 「何って、それは……」
 
 次の言葉を続けられないでいるカグヤは、ふと自分の体がクラクラすることに気付いた。
 眩暈でも起こしたのだろうか。
 甲板の手摺りを掴んだその時、耳に非常事態を告げるサイレンの音が飛び込んできた。
 
 「水中衝撃波!」
 
 アスカの声に、思考が戦闘時のそれへと切り替わっていく。
 海の遥か彼方に、水柱が点々と浮かんでいた。国連軍の太平洋艦隊相手に戦争を仕掛けてくる相手など、カグヤの脳には一つしか思い浮かばない。
 
 「まさか……使徒」
 
 カグヤがそう言うと、アスカはなぜか嬉しそうな顔をした。
 
 「本物なの!?」
 「多分。……なんでそんなに嬉しそうなの?」
 「これはチャンスよ、カグヤ。あたし達で使徒を倒すの」
 「あたし達で、って……」
 
 使徒を倒すのはエヴァである以上、『あたし達で使徒を倒す』のは当然である。
 何を当たり前のことを言っているんだ、と言いそうになった時、カグヤはアスカの言わんとする意味に気がついた。
 
 「まさか、勝手に出る気? ミサトさんの指示もなしに」
 「そうよ」
 「正気か!? 許されるわけないだろ!」
 「じゃああんただけミサトのところに行けばいいじゃない。あたしは出るわ」
 
 アスカにそう言われ、カグヤはその場に立ったまま黙り込んだ。アスカを説得するのが無理だと思ったのもあるが、それだけではなかった。
 ミサトに一人で会いに行くのが気まずかったのだ。
 会った時、まずなんと言えばいいのか。謝ればいいのだろうか。でも、謝られてもミサトは嬉しくないだろう。
 そんなカグヤの心情を見透かしたのか、アスカが挑発的に笑った。
 
 「使徒を倒せば許されるのよ、あたし達は」
 
 その通りだとは、思わない。
 だけど今は、そうであってほしかった。
 
 「…………わかった、行こう」
 
 カグヤはアスカの後についていった。