23 年号なんて覚えてないよ

 鐘が鳴る。
 シャーペンの走る音が一斉に響いた。そう、今日は期末テスト当日である。
 実は病気や転校などが重なり、大きな試験を受けるのは人の心を読めるようになってから初めてだった。

 (うーん、結構頑張って勉強したつもり、なんだけど……)

 30分ほどで手が止まる。
 記述問題や、答えが明白なサービス問題はスラスラと書けたのだが、穴埋め問題は空欄が目立っていた。
 それもそのはずである。

 ——(①)年、財政難に苦しむフランス国王(②)は、175年ぶりに三部会を招集した。

 えっと、私の記憶が確かなら、1789年、ルイ16世だったと思うんだけど……

 (これはサービス問題ね、1798年よ!)
 (えーっと、1892年だよね……)
 (ルイ15世。これは流石に楽勝)
 (ルイ869世!)

 うえーっ、自信無くなるよー!
 言われてみれば1798年だった気がする。流石にルイ869世ではなかったにしろ、ルイ15世だと言われるとそんなような気もしてくる。
 さっきからずっとこんな調子なのだ。耳を塞ぎたくても心の声は勝手に入ってくるせいで、自分の答えだけに集中するというわけにもいかない。かといって、具合が悪くもないのに保健室で受験するというのもちょっと違うし。
 頭を掻きむしっていると、後ろから斉木くんの声が聞こえた。

 (大変だな、心が読めるのも)
 (他人事みたいに……斉木くんだって同じでしょ?)
 (いや、僕は高校レベルのテストなら満点くらい余裕だ。ただ、目立ちたくないから周りに解答を合わせてるだけで)

 こ、こいつ! 腹立つ!
 私だって、心の声さえ聞こえなければこんなことには……いや、まあ細かい年号とか数字をちゃんと覚えていなかったのが悪いんだけど……でも私にも斉木くんにとってのゲルマニウムリングみたいなものがあれば……

 (おい、いいのか。あと5分だぞ)
 (えっ、嘘でしょ!?)

 斉木くんの声で、私はハッと顔を上げた。本当だ、あと5分しかない。あと空欄5つも残ってるよ!?
 やばい、当てずっぽうでいいから何か書かないと!
 私はやけくそで穴埋め問題の空欄を埋めていった。ちょうど全て埋め終わったタイミングで、チャイムが鳴った。

 「はい、終了ー!」

 先生の声でみんなが一斉にペンを置く。後ろから一斉に回答用紙が回収されていった。
 ああ、今までで一番自信がない……
 休み時間に入り、がっくりした気持ちで肩を落としていると、隣から少し震えた声がした。

 「ふ、ふふ……その様子だと、お前も苦戦したようだな……佐取」

 海藤くんだ。口調こそ保てているものの、彼の心の中は『やばいよテスト全然できなかった……ママに怒られる……』という心細そうな声で満ちている。
 とはいえ彼の心境を笑えるほど私も出来が良かったわけでもない。というか、むしろ共感に満ちている。私は身を乗り出した。

 「え、やっぱり難しかったよね!? 私全然自信ないよ」
 「ふん、落ち着け……これは教師どもによる陰謀! 期末テスト最初の科目をあえて超難易度にすることで、生徒の動揺を誘いテスト全体の難化を図っているのだ……!」
 「あはっ、そんなことある? でもそうだよね、次の教科に向けて切り替えたほうがいいよね」
 「ああ! な、斉木もそう思うだろ?」
 (……そうだな)

 気づくと斉木くんが私の目の前に立っていた。そういえば、普段斉木くんを交えて喋る時は斉木くんの机の周りに集合しているので、こうして彼がこちらまでやって来てくれるのは珍しい。
 私と目が合った斉木くんは、気まずそうに目を逸らした。えっ、なんで逸らした?
 まさかさっきの世界史って……私と海藤くん以外はみんな会心の出来だったりするのか……?
 などとさらに不安がっていると、灰呂くんも爽やかな笑顔で近づいてきた。

 「やぁ、みんな。さっきのテスト、難しかったね」
 「ほら、灰呂もそう言ってるんだ。きっと東大の過去問だったに違いない」
 「最後の問題とか、3日前の授業で先生が何か言ってた気がするんだけど忘れちゃったよ」

 あぁ、これ絶対灰呂くん良い点数取ってるやつだわ。私は先生が何を喋っていたかなんて思い出せなかったもん。
 私がさらに絶望していると、まもなく燃堂くんも来た。ああ、いつもながら燃堂くんの心の声は、動揺した精神にも優しい川のせせらぎの音である。
 
 「へっ、みんなテストごときに焦りすぎだっつーの。もっと肩の力抜いていいんだぜ」
 (お前は抜きすぎだ)
 「はぁ!? じゃあ燃堂オメーはどうだったんだよ!」

 その時、教室の扉が開く音がした。学年主任の先生だ。
 まだ次の試験開始には時間があるが、先生はどうやら燃堂くんに用事らしい。呼びかけると、先生はとんでもない爆弾発言をした。

 「言い忘れていたんだが、燃堂お前、このテストで赤点3つ以上あったら留年だから」

 えーーー!? それもっと早く言ってあげなよ!! 今からじゃ遅いよ!!
 海藤くんなんてやけに優しい顔で「学年が違っても俺らは同い年だ」なんて燃堂くんの肩を叩いてるし!

 「あ、諦めるのはまだ早い! 赤点3つなんて、なんとか頑張れば回避できるはずだ!」

 そうだよね灰呂くん、普通は赤点3つなんて取らないよね。
 しかし燃堂くんは強者のオーラで言い放った。

 「なぁ、リュウネンってなんだ? 辰年のことか?」
 「終わった……」

 ああ、灰呂くんが諦めてしまった。意外と諦めが早い。
 しかし、燃堂くんは突然リュウネンの変換ができたようで、「そっちかー!」と笑い出した。

 「でーじょーぶだよ、テストくれー! オレっちには秘策があんだよ」
 「秘策だと!?」
 「な、なんだ燃堂くん!?」

 そう言って燃堂くんが取り出したのは、数字の書かれた鉛筆だった。

 「こいつよ! これさえありゃ完璧よぉ!」

 コロコロコロ……
 なんとも頼りない、物悲しげな音を立てて鉛筆が転がる。その瞬間、全員の心の声が一致した。
 
 ——終わった……
 
 さようなら燃堂くん。きっと1個下の子たちも君の心の美しさに気がついて仲良くしてくれるはずだよ。
 『どうだかな』という斉木くんの声が聞こえてきた。
 
 
 さて、どきどきの2科目目、数学が始まった。
 数学は暗記科目と違って、一様に解いていれば答えが定まるから楽だ。しかも、今回のテストは記述部分は不要で答えだけ書けばいいので、字を綺麗に書かなければとか答案の余白が足りないとかいう心配をしなくて済む。
 一区切りついてペンを止めると、鉛筆の転がる音が聞こえてきた。

 「えーっと、1……6……くそっ転がすのが多くて疲れるぜ」
 「うるさいぞー、燃堂」

 えっ、数学で鉛筆転がしを!? 燃堂くんそれは正気か!?
 しかもあれは六角鉛筆なので7以上の数字が出た瞬間にゲームオーバーじゃないか。これは赤点待ったなしか……
 と思ったが、自分の答案をさっと見返した私は思わずうっと声を上げてしまった。

 見事に全部1から6までの数字しかない。

 そんなことある!? しかもこの答案の方式だと、分数やπ、√などの記号はあらかじめ書かれているので、マークシート方式のように数字を書いていくだけでいい。つまり、鉛筆転がしでもそれなりに当たる可能性がある。
 いやそりゃ可能性はあるけど……正気か!?
 斉木くんも同じことを思っていたようで、第5問の解答を燃堂くんが当てた瞬間、ガバッと振り返っていた。

 「あっおい! 堂々とカンニングするな!」

 いや違うんです先生、それどころじゃないんです。数学なんてやってるレベルではないほどの奇跡が背後で起きているんです。
 振り返った斉木くんは『なるほどな……』と納得したような苦々しい声を上げていた。

 (どういうこと? 運だとしたら豪運すぎるよ)

 私が聞くと、斉木くんは一瞬ちらっとこっちを見て、そっぽを向いた。

 (ん……佐取さんは怖がりそうだから言わない)
 (えっ!?)

 なにそれ、私が怖がりそうなことってどういうこと!?
 そんなことを言われたら逆に気になるよ!

 (ねえ、どういうこと!? なにを使ってるの!?)
 (……言わない)
 (ねえねえ、教えてよ!)
 (あぁもう、自分のテストに集中しろ!)
 (もう全部解答埋まったもん)
 (見直しでもしてろ)
 (もう2回見直したもん)
 (正気か? まだ後15分残ってるぞ)
 (ねえー教えてよー、気になるよー)
 (うるさい! 寝てろ!)
 (えーん気になるよぉ斉木くん! 教えてってば!)
 (おーしーえーなーい)
 (むぅ……)

 斉木くんの意地悪……
 その後も何度か聞いたが、結局教えてくれなかった。次の教科でも、燃堂くんは神がかり的な引きの良さで赤点を回避していった。一体なんの力が働いてるっていうんだ……
 
 
 
 そして数日後。
 廊下に張り出された順位表を見て、私も斉木くんも、海藤くんも灰呂くんも驚きのあまり言葉を失っていた。

 「燃堂力……181人中90位だと!?」
 「お前やったのか!? 知恵袋か!?」
 「ちげえよバーカ、オレっちの地頭ってやつよ」
 「前回からこんなに順位を上げるなんて……僕尊敬しちゃうよ!」

 本当にすごいよ、燃堂くん。あの状況で留年を回避できちゃうなんて。
 そ、それに……

 (斉木くんにも勝っちゃうなんて……)
 (…………何か言ったか、佐取さん)
 (なななななにも言ってません!!!)

 隣の不機嫌オーラがすごい。まあ、いくら目立たないように順位を調整しているとはいえ、燃堂くんに負けたとなるとちょっと体裁がよろしくないよね。いや、燃堂くんに失礼なんだけど……
 斉木くんは腕組みをして言った。

 (次からはもう少し順位を上げても問題ないかもな。29位とか)
 (なんで私の1個上なの!?)

 ふん、と斉木くんが鼻を鳴らす。いや、私だってもうちょっと暗記科目勉強してればもっといい順位取れたし……

 (でも燃堂くんって本当に実力でこんな点数とったの?)
 (そんなわけないだろ、まぐれだよ。犯人のいる、な)
 (犯人?)

 私が首を傾げると、斉木くんは廊下の端の方にいる人間を指差した。
 あれは……抜け殻になっている鳥束くんだ。相当点数が悪かったらしい。

 (鳥束の守護霊が燃堂の亡くなった父親なんだ。それで、燃堂父が燃堂の鉛筆を操作してたというわけだ。もっとも、幽霊には記憶がないから息子だとはわからないはずなんだがな)
 (へーっ、そうなんだ。親子愛だね)
 (燃堂父は割と佐取さんの答案も見てたぞ)
 (えーっ、恥ずかしいなあ)

 ん? いや、待てよ。
 じゃあ、テストの最中に、燃堂くんのお父さんとはいえ、幽霊が私の答案見てたってこと?
 幽霊が私の近くにいたってこと!?

 (えーっ、怖すぎる! 無理!!)
 (な、だからテスト中に聞かなくてよかっただろ)
 (そういえば数学の時間中寒気がした気がする……)
 (気のせいだろ)

 あの時もあの時も、と数日前の記憶を遡りだす私を見て、斉木くんはやれやれ、と溜息をついていた。だけどその横顔は、なんだか楽しそうだった。