斉木くんにチョコレートを渡した次の日、私のスマホに一通のメッセージが届いた。ベッドに転がりながら内容を確認した私は、しばらく硬直した。
『こんにちは、心美です!
突然なんだけど、今度の土曜日空いてる?
お兄ちゃんから映画のチケット貰ったんだけど、よかったら一緒に観に行かない?』
「……宛先間違えてるよ、と……」
そう送ると、1分も経たないうちに返信が来た。
『間違えてないよ! 玲子ちゃんに用があって連絡したの!』
はて。照橋さんが私に、となると全く要件が思いつかない。
だが次の土曜日は特に予定もなかったので、私はその誘いに乗ることにした。
『そっか。土曜なら空いてるよ』
『本当? 良かった〜。じゃあ、13時に映画館の前集合で!』
『おっけー』
そういえば、何の映画かを聞いてなかった。まあ照橋さんのことだし、花の女子高生が見るような実写恋愛映画にでも誘ってくれたんだろう。楽しみだな。
しかし土曜日当日、渡された前売り券のタイトルを見て私は拍子抜けしてしまった。
「実写版すこやか戦隊スペシャライザー?」
「う、うん……もしかして玲子ちゃん、こういうの好きじゃない?」
不安そうに眉を下げる照橋さんを見て、私はぶんぶんと首を横に振った。タダで映画に連れて行ってもらっておいて、「趣味じゃない」と抜かすほど性格の悪い人間ではない。
「いや、そんなことはないんだけど……照橋さんとスペシャライザーが結びつかなくて」
「あ、そうね……なんていうか、その、私……主演の六神通の……」
照橋さんが言いづらそうに口ごもる。ファンなのかな? と思ったが、心の声が聞こえてきた。
(妹だなんて言えないし……!)
なるほど、妹なのか。理解理解。
確かに、こうしてまじまじと見ると六神通と照橋さんは似ている。主に、ルックスが抜群に整っているという点で。
私は前売り券を受け取ると、照橋さんに向かってにこやかに頷いた。
「ありがとう。すこやか戦隊スペシャライザー、興味あったんだよね。じゃ、行こっか」
「うん!」
券売機で座席を選び、ドリンクを買ってからスクリーンに向かう。
休日だからか座席はそれなりに埋まっていて、館内は人々のざわめきに満ちていた。もちろん実際に喋っているのではなく、心の声によるものだ。
そうか、映画館ってしばらく行っていないなと思っていたけど、心の声がすごくうるさいんだった。すっかり忘れていた。
座席に座ってドリンクを啜っていると、頭上から「え」という声が降ってきて、私は顔を上げた。
そして盛大に咽せた。
「げっほげほごほっ!!」
代わりに状況を説明してくれたのは照橋さんだった。
「あれ、斉木くん! 偶然だね!」
「あ、ああ……」
なんで!? なんで斉木くんがここにいるんだ、彼の心の声なんて一切聞こえなかったのに!
ぎょっとして彼を問い詰めるが、斉木くんの心の声は依然として聞こえなかった。一体どうなっているんだろう。まさか斉木くんからテレパシー能力が失われてしまったとか? でも、私の能力はテレパシー能力がない人に対しても使えるし……
思わず斉木くんを凝視していると、彼はちょっと困ったような、ばつの悪そうな顔をしていた。上映前、フロアの明かりが一段階落とされた時に、ちらりと左手を見せる。人差し指にはまっている指輪を指して、「これ」と口パクで示した。
どういうこと……?
とはいえ、その口ぶりだとテレパシー能力を失ったのは斉木くんの意図するところのようだ。もう二度と心の中でお喋りすることができないというわけではないらしい。
それならいいんだけど。
いつの間にか始まっていた映画のスクリーンを、私はぼんやりと見つめていた。
「映画面白かったねー」
「うん、スペシャライザー初めて観たけど面白いね」
(実写にしては悪くなかったな)
映画が終わった後、私と照橋さん、そして斉木くんは近くのトドールでコーヒーを飲んでいた。斉木くんは終演後すぐに帰ろうとしたのだが、気を利かせた照橋さんによって呆気なく捕まえられてしまった。まあ、私も斉木くんには聞きたいことがあったからちょうどいいんだけど。
感想をひとしきり言い合った後、照橋さんはカバンの中から可愛らしい包みを取り出した。
「それでね、玲子ちゃん……光輝くんにバレンタインのチョコを用意したんだけど、玲子ちゃんから渡してくれないかな?」
「いいよ」
「ありがとう!」
私は苦笑して包みを受け取った。実は彼女の目的は会った時から、いや会う前からうっすらとわかっていたのだ。わざわざ映画になんて誘わなくても、言ってくれたら渡しておくのに。
照橋さんがほっとしていたのも束の間、店の入り口から不穏な心の声が聞こえてきた。
(心美、心美ぃ〜〜! どこだ〜〜!?)
一体誰だろう。照橋さんの知り合いかな。
私がきょろきょろとしていると、ふと照橋さんが私の背後を見て顔を引き攣らせた。振り返ると、青い髪にサングラスをかけたイケメンが、血相を変えて私達の方へ走り寄ってきていた。
え、あれはまさか……
「お、お兄ちゃん!」
「心美! 友達と遊びに行くって言ってたが、友達って男なのか!?」
そこには、先ほど観た映画の主演を務めていた男、六神通がいた。私の存在には目もくれず、斉木くんをばちばちと音が出そうなほど鋭い視線で睨みつけている。
照橋さんは慌てて席を立ち上がった。
「違うわよ! 斉木くんとはたまたま会っただけ! ほら、もう帰ろうお兄ちゃん!」
え、六神通ってもしかして、かなりのシスコンなのか……さっきの映画では格好良かっただけに、ちょっと残念に思ってしまうな。
去り際、照橋さんは私に手を振ってくれた。
「ありがとう! また遊びに行こうね!」
「あ……うん!」
その言葉が本心によるものだとわかったから、私は思わず面食らってしまった。
あの照橋さんが私を……私のことを友達だと思ってくださっている……
ぼーっとして彼女が去った方を見つめていると、斉木くんがくすっと笑う声が聞こえてきた。
(よかったな)
(う、うん……)
って、そうじゃない!
私はハッと意識を取り戻し、斉木くんに向き直った。
(さっき心の声が聞こえなかったのってどういうこと!?)
いつの間に斉木くんとはテレパシーで会話が繋がるようになっているが、映画を観る前は確実に聞こえていなかったのだ。
私が尋ねると、斉木くんは無言でポケットから銀色の指輪を取り出した。それを持った途端に、また彼の心の声が聞こえなくなっている。やっぱりその指輪のせいなのか。
今度は斉木くんの肉声が聞こえてきた。
「このゲルマニウムリングをつけたら、テレパシーが全く聞こえなくなったんだ。どうしてもネタバレなしでスペシャライザーを観たかったからつけてきた」
「そ、そうなんだ……」
「佐取さんにも効くかもしれない」
そう言うと、斉木くんは私の手を取った。
(え……)
心臓が弾む。
斉木くんの手は少しひんやりとしていた。私、手汗かいてないかな、なんて余計なことを考えてしまう。斉木くんはそのまま、まるで壊れ物を扱うような繊細な手つきで、指輪をそっと私の人差し指にはめた。
これは……何というかその……
プロポーズみたい、だなんて、
(なんてことを考えてるんだ私はーーー!!!)
思わずテーブルにガツンと頭を打ちつけてしまう。「ど、どうした」と斉木くんの狼狽えた声が降ってきた。
え、今の聞こえてないよね? 聞こえてたらどうしよう……
おそるおそる見上げると、斉木くんが私を見て心配そうな顔をしていた。
「どうだ……?」
聞こえてない! セーフ!
改めて、私はじっと周囲の音に耳を澄ませてみた。
当然といえば当然の結果だが……
(はー、仕事だるいなー。早く終わらないかなぁ)
(カフェで仕事してる俺、かっこいい……!)
(今日の夕飯何にしようかな)
人々の心の声がよく聞こえてくる。
私は指輪を外すと、首を横に振った。
(私には効果がないみたい)
(そうか……)
残念そうな顔をしている斉木くんとは対照的に、私はさっきの心の声が聞こえていなくて良かった、と安堵のため息をついたのだった。