13 避難経路の“覚”認を

 体育祭から数日経った今日、PK学園では避難訓練が実施される予定になっていた。昨日までは『筋肉痛ヤベェ』『痛い……動くと痛い!』ばかりだったクラスメイトの心の声もようやく落ち着き、今は『避難訓練とかまじだりぃ』でいっぱいになっている。
 怠いのはわかるが、災害は甘く見てはならない。なぜなら……

 「非常事態には想像もつかないトラブルやアクシデントが起こるし、精神状態だって大きく変わるんだ!」

 私の考えていたことを灰呂くんがそのまま口にしたため、私は目をぱちくりとさせた。
 ——まさか……私の思考を読んだのか!?
 思わず海藤くんのような中二病思考に至ってしまったが、斉木くんによる『それくらい誰でも考えるだろ』とのテレパシーにより一蹴されてしまった。思考が読めるのは灰呂くんではなく斉木くんである。
 灰呂くんは火事の恐ろしさ、もとい暑苦しさを十分に説明した後で、今度は避難訓練の注意点を説明し始めた。

 「みんなは“おかし”という言葉を知っているか? これは避難時の心構えの頭文字をとってまとめた標語なんだ。どういう意味かわかるかい?」

 小学校や中学校で散々やった記憶がある。押さない、駆けない、喋らない、だ。まあ、まさか高校生にもなってその標語が出てくるとは思っていなかったが、基本に立ち返るのは大事なことだ。
 すると、燃堂くんが「お! わかったぜ!」と声をあげ、クラスの注目が集まった。

 「前ら、事で、ぬな!」
 ((シンプル・イズ・ベスト……))

 あまりに端的かつ安直なその答えに、意図せず私と斉木くんの思考が被る。

 「ああ、うん……それも大事な心構えなんだけど」
 「お! じゃあ、あれか!? い! 事だ! 火器持ってこい! だろ」

 そんな標語があってたまるか、自分で持ってきてくれ。クラス全員が呆れ返っているところに、海藤くんの含んだような笑い声が響いた。

 「クックック……相変わらずバカだな、貴様は……」
 「ああん!? テメェはわかんのかよ!」

 わからないのは燃堂くんくらいのものだろう。海藤くんは自信満々といった風に口を開いたが、その内容は……

 「炎はぬまで貴様に襲いかかる……!」
 「「「…………」」」
 「冗談だ。押さない、駆けない、喋らない、だろ?」

 一瞬教室の空気が氷点下にまで冷え切ったが、すぐに訂正したことで居た堪れない雰囲気が無事撤収された。灰呂くんも前半部分の発言は何も聞かなかったかのように「その通りだ」と頷く。

 「押さない、駆けない、喋らないの頭文字を取って“おかし”だ。みんなこの“おかし”を忘れずに避難訓練に臨んでくれ!」

 灰呂くんがそう言い終えるや否や、ジリリリリリ!! という非常ベルの音が校舎中を劈いた。

  (うわっ)

 来ると分かっていても、小心者である私は思わず肩をビクッと動かしてしまう。何度聞いても心臓に悪い。この非常ベルの音に驚きすぎて死んだ人もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 『訓練、訓練です。一階の理科室で火災が発生しました。直ちに避難してください』
 「みんな、まずはち着いて! から防災頭巾を取り出して、席番号順に後ろに並んでくれ!」

 そう言われ、クラスメイト達は緩慢とした動きで後ろのロッカーや鞄から防災頭巾を取り出す。実に緊張感のない訓練だ。中には頭巾をなくしているクラスメイトもいて、灰呂くんに怒られていた。

 「なにぃ!? 頭巾を失くした!? 前これが訓練じゃなかったら実にんでるぞ!」

 まあ死んでるかどうかは別として、あるに越したことはない。私が頭巾をかぶり終えた頃、後ろで「やだっ」という天女の悲鳴のような声が聞こえた。

 「私も頭巾どこかいっちゃったみたい……」
 「なっ……照橋さんもかい?」

 年一回しか使わないということもあるが、みんな頭巾を失くしすぎだ。困惑している彼女に対し、男子達が一斉に群がって頭巾を差し出した。

 「えっ、でもこれ借りたらみんなが……」
 「そうだぞ、君たちはどうするんだ。頭巾なしで」
 「いいんだよ、俺たちは……」
 「照橋さんが無事なら……そう」
 「「「たちは女のためならねる!」」」

 頭巾を貸した男子達は全員爽やかな笑顔でそう言い切った。全員心の底から本気で思っているのだから、頭がおかし……恐ろしいことだ。
 そして、もっと恐ろしい人間がいた。

 (願いしなくてもしてくれる僕達……うふふ)
 (ひぃっ!!)
 
 さすがこのクラス、いやこの世界を牛耳る女帝。何人もの男達を自発的に従えているところも恐ろしいし、それを当然のように受け入れている器も恐ろしい。鳥肌が立った二の腕をさすりながら、私は列に並んだ。

 (あっ、斉木くんだ)

 数列前に防災頭巾を被った斉木くんの姿が見えて、私は少しほっとする。頭巾を被っていても制御装置が生えているおかげで見つけやすい。

 ……ん?
 ……んん?

 ——いやそれどうなってるの!?

 (どうなってるって、何がだ)
 (いや、それ! その制御装置!)

 斉木くんは怪訝そうな顔をしてこちらを振り返った。そう、防災頭巾から制御装置が生えているのだ。普通は制御装置の上から頭巾を被ったら頭巾が膨らむだけのはずなのに、なんかファンシーな宇宙人みたいになっている。
 しかし斉木くんはなおも不思議そうな顔をするだけだった。

 (約束だろ? こうやっててないと、どうなってるのかわからんからな)
 (何それ……)
 「い! ィイーー!! 列から離れてどこ行く気だ!?」

 高橋くんが灰呂くんに怒られている声が聞こえてくる。お約束とは一体なんなのか、一体誰に対してわかりやすく示す必要があるのかは一向にわからないままだったが、斉木くんは『そんなことより』と私の話を遮った。

 (さっきから妙に“おかし”を含んだ言葉ばかりに聞こえるんだが、僕の気のせいか?)
 「前ら、事場でょうもない喧嘩してないで、さっさと行くぞ」

 確かに、先ほどからクラスメイトの発言にどことなく「お」「か」「し」が含まれている気がする。私は思わず心の中で歓声をあげた。

 (お! 言われてみれば、に)
 (それはちょっと惜しい)

 なんということだ。私までもあまりに自然な流れで“おかし”を含む言葉を言いそうになった。そういえば、さっき斉木くんも言ってなかったっけ……
 私が考え込んでいる間に列が進み始め、+組の集団と合流した。「「あっ」」という声が上がり、知予ちゃんと懐かしのタケルくんのテレパシーが流れ込んでくる。

 (じ学校の人と別れると、なり気まずくてんどい……)
 (いを引きずってる元カノに全にカトされた……)

 どうやら彼らも“おかし”の呪いにかかっているようだ。しかも聞いているこっちまで気まずくなってくる。
 モヤモヤした彼らの心の声は無視して階段を降りると、一階に出た。あとは正面口から外に出るだけ、というところで灰呂くんが何かを見つけて立ち止まる。

 「なんてことだ……外に通じる道に、のかかったャッターだとぉ!?」
 「「「なっ、なんだってー!?」」」
 
 この際もう“おかし”は放っておくとして、避難経路の途中にシャッターが降りているなんて大変だ。生徒からも口々に「いおい」「弁してよ〜」「んじゃうよ、訓練じゃなかったら」という不満の声が上がっている。
 でも、なんでシャッターが降りているんだろうか。しばらく考えた私は一つの結論に思い当たった。

 (もしかして、この先に理科室があるから?)
 (だろうな。本当に火事であればこの通路は使えない……つまり僕達は裏口から出るという判断ができるかを試されているんだろう)

 斉木くんのわかりやすい説明に、私はうんうんと頷く。どうやら灰呂くんもわかったようで、「ち着け、路はある!」と呟いていた所、急に顔を上げた。

 「わかったぞ、このシャッターの意味が!」
 「え、何?」
 「これは障害物なんだ! 火事なら道が塞がれていてもくない! つまりこのシャッターを全員で突き破って進めってことなんだ!」
 (全然違う!)

 なんてことだ、このままでは学校の生徒全員が火の海に突っ込んでいくことになってしまう。止めようと思ったが、私の小さな声は意気揚々とシャッターに飛びかかっていった彼らには届かず、灰呂くんたちは燃え盛る理科室へ向かっていってしまった——

 それから約30分後、グラウンドには正座させられている灰呂くん他十数名と、怒り心頭で立っている松崎先生がいた。

 「何をやっとるんだ、貴様らー!! シャッター壊すバカがいるか! 前ら修にいくらかかるかってるか!?」
 「「すいません!!」」

 本当にその通りだ。あの場で裏口から逃げようと思いついた人が私と斉木くん以外にいなかったのが恐ろしい。彼らが怒られる様子をグラウンドの端で見ていた私は、古紙置き場の方からいかにも怠そうな心の声が聞こえてきて目を向けた。

 (ハァ〜、ダリィ……)
 (……やれやれ)
 
 隣に立っていた斉木くんは、寄り目になって千里眼を発動させたかと思うと、指先をパチンと一回鳴らした。何が起きたのか聞いてみると、『たばこの不始末でボヤが起きそうだったから消した』らしい。

 (がいれば事になる配はない、ってな)
 (お! っこいい火の消方! ……ん?)

 なんだろう、無理やり口が動いたような気がする。これも“おかし”の呪いか。そのうち甘い物が食べたくなってきて、私は帰ったら何のを食べようか考え始めた。

 (……そこはお菓子じゃないのかよ!)
 (ええっ、何の話!?)