6 Let’s be friends.

 シンジが家出から帰ってきてから1週間が経ち、生活が日々の装いを取り戻し始めた頃。
 ある日の体育の授業で、シンジは女子がバレーボールをしているのをぼーっと見つめていた。

 「レイ!」
 「ええ」

 バァン、とボールが体育館の床に打ち付けられる音が弾ける。カグヤのトスを受けたレイが見事なアタックを決めたところだ。コートがわぁっという華やかな歓声に包まれた。

 「綾波さんナイス!」
 「如月さんのパスも素敵だったわ!」

 カグヤは歓声に対して笑顔で軽く挙手して応えたが、レイは相変わらず興味なさそうにそっぽを向いたままだった。
 それにしても二人のチームワークは抜群のようだ。思えば二人は一緒にいることが多かった。ファンとも言える生徒に囲まれている時以外は、カグヤは大抵レイの側にいる。まるで姫を守る騎士のように。
 そう考えていると、後ろから肩をど突かれてシンジはよろけた。

 「先生、何熱心な目で見とんのや。綾波か?」
 「もしかして如月さんとか?」

 トウジとケンスケだった。家出の件以来急激に仲良くなった二人は、なぜかシンジのことを「先生」と呼んで慕って、もとい構ってくるようになった。シンジは苦笑しながら首を振る。

 「違うよ。あの二人、仲が良いんだなって」
 「ああ、綾波と如月か? 綾波が一年の時に転校してきてから、如月がずっと構ったってんねん。綾波、ちょっと近寄り難いところあるしな」
 「綾波、如月さん以外に友達いないみたいだしね。シンジはパイロットだから、あの二人とも話すんじゃないの?」
 「まぁ、如月さんとはたまに話すけど、綾波とはあんまりかな……」

 そう言ってから、シンジはもう一度カグヤとレイを見た。きゃあきゃあと女子に囲まれているカグヤ。人との関わりを断つかのように一人で立っているレイ。
 同じエヴァのパイロットだというのに、自分はこの二人とはまるで似ても似付かないな、とシンジは思う。カグヤのように人気があって、文武両道なわけでもない。レイのように凛とした強さを持ち、孤高を保てるわけでもない。

 (……僕は中途半端だ)

 二人から視線を逸らし、ため息をつく。その姿をカグヤは横目で密かに見ていた。

*   *   *   *   *   *

 L.C.L.に吐息が溶けていく。カグヤはエントリープラグの何もない天井を見上げた。
 今日はシンクロテストが行われるとのことで、カグヤはプラグスーツに着替えてエントリープラグに乗り込んでいた。隣の実験室ではシンジと初号機もシンクロテストを行っている。レイの乗る零号機はまだ修理中だ。

 (それにしても、気持ち悪いな……)

 L.C.L.は透明で知覚出来ないはずなのに、カグヤの体はひしひしと不快感を訴えていた。エヴァに乗る時は毎回この不快感を覚えており、これでも慣れてきた方と言っていい。最初の頃などは液体呼吸が可能なのにも関わらず溺れる程だったのだ。
 泳ぎが苦手なカグヤではあるが、この不快感の原因はそれだけではないはずだった。リツコに聞いても溺れるような要素は無いというし、何より肌で感じるのだ。
 ——エヴァが私を拒絶している、と。

 「10号機パイロット、シンクロ率20.2%」
 「まずまずね。カグヤ、調子はどう」

 リツコの問いに、カグヤは「悪くはないです」と答えた。さしていつもと変わらず、奇妙な居心地の悪さを覚えるだけだ。
 その時、制御室からもう一つ声が届いてきた。

 「初号機パイロット、シンクロ率45.7%」

 制御室から感嘆の声が上がる。それをカグヤはなんとも言えない心持ちで聞いていた。
 6年間エヴァに乗り続け、エヴァのパイロットとして生きてきた自分の前に突如現れた彗星、碇シンジ。彼はエヴァに乗った経験も知識も無いというのに、その才能で瞬く間にカグヤやレイを追い越していった。
 エヴァのパイロットとしては、優秀な仲間は一人でも多い方が良いに決まっていた。使徒の侵攻が本格化し、零号機が修理中である以上、町を守れるのはカグヤとシンジしかいないのだ。そのシンジがパイロットとして成績優秀であるのは非常に喜ばしいことのはずだった。
 しかし、如月カグヤ個人としては、一人の女子中学生としては、劣等感を否めなかった。
 そして、シンジに対して妬みのような感情が沸き上がってしまう自分のことが、カグヤは嫌で仕方なかった。
 
 
 
 シンクロテストを終え、着替えてロッカーから出てきたカグヤは、自販機横のベンチに座っている人影を認めた。

 「碇くん?」
 「あ、如月さん」

 シンジもカグヤを見つけ、ふわりと優しく微笑む。その姿に惹かれたというわけではないが、なんとなくカグヤもシンジの隣に腰掛けた。

 「先に帰ってると思ってたよ」
 「ミサトさんを待ってるんだ。今日は早上がりらしいから、一緒に帰ろうって」

 それきり、二人の間には気まずい沈黙が流れた。思えばエヴァのパイロットとして会話をしたことはあっても、こうして仕事外で話すことはほとんどなかった。同い年の男子と何を話せば良いのかもわからない。
 意を決して、カグヤは口を開いた。

 「碇くんって凄いよね」
 「え?」

 シンジがギョッとしたような、何か信じられないようなものを見る目で見つめてくるので、カグヤは一瞬自分が変なことを言ったかと心配になる程だった。

 「えっ、いや、その……パイロットとして成績優秀だし」
 「ああ、うん……そう、みたいだね。僕にはいまいちピンと来ないんだけど」
 「本当に凄いよ。私なんて、6年乗ってても全然ダメなのに……」

 そう言ってから、カグヤはハッと口を噤んだ。ついシンジに対して妬んでいるようなことを言ってしまった。そんな重苦しい会話にするつもりなどなかったのに。
 しかし、シンジはそんなカグヤを見て、何故か目を丸くしていた。

 「僕には如月さんの方がずっと凄いと思う」
 「えっ?」

 今度はカグヤが驚く番だ。シンジは照れ臭そうに続けた。

 「如月さんは友達がいっぱいいるし、勉強も運動もできるし、クラスのみんなから愛されてるじゃないか。僕は地味だし、何をやっても中途半端だから、如月さんを見てると羨ましくなるよ」
 「そ……そんなことないよ!」

 まさかそんなに褒められるとは思っておらず、カグヤは頬を赤くした。パイロットとして遥か先を行くシンジにそこまで高く評価されているとは思わず、恐縮するような、恥ずかしいような気分だ。
 そこまで考えて、カグヤは今の自分の反応が、先ほど褒められた時のシンジの反応に似ていることに気がついた。

 (もしかして……)

 気まずいと思っていたのは、お互いにこの人は凄いと、とても自分なんかじゃ敵わないと思い合い、恐縮し合っていたからなのではないか。
 ——同じ人間なのに。
 そう思うと急に可笑しくなり、カグヤはふふっと笑みを零した。

 「どうしたの?」
 「いや……私、実は碇くんのこと、ちょっと妬んでたんだ。でもまさか碇くんもそんな風に思ってたなんてね」
 「え、そうだったの? あはは、僕達似たようなこと考えてたんだね」

 カグヤもシンジも、互いの心の距離が急速に近づいていくのを感じていた。
 二人は同じ学校のクラスメイトで、たった3人しかいないエヴァのパイロットなのだ。きっと仲良くなれるはず。

 「ねぇ、シンジって呼んでいい?」
 「うん。僕も、カグヤって呼んでいいかな」
 「もちろん」

 二人はどちらともなく右手を差し出し、固い握手を交わした。その手は暖かかった。

*   *   *   *   *   *

 「ってなことがあったんだよ」
 「そう……」

 零号機の再起動実験があるとのことで、レイはNERV本部のロッカールームでプラグスーツに着替えていた。何故かその隣には制服姿のカグヤがいる。レイの記憶によれば、今日はカグヤがエヴァに乗る用事はないはずだった。

 「シンジって良い奴だよね、ミサトさんの分まで家事やってるみたいだし、謙虚で驕らないし。きっとレイもすぐ仲良くなれるよ」
 「……」

 カグヤは自分がいかにしてシンジと打ち解け、シンジがどれほど良い奴なのかを滔々とレイに語っていた。この様子だと、先程彼がレイの家に入ってきて一悶着あったことは言わない方がいいだろう、とレイは判断する。
 ゲンドウのメガネが入ったケースを手に取り、レイは立ち上がった。その背中に声がかかる。

 「再起動実験、頑張ってね」

 目を見て微笑むカグヤに、レイはふと口を開いた。

 「貴方、どうしてここにいるの」
 「どうしてって……レイの再起動実験があるからだよ」
 「貴方には関係ないのに」

 突き放したいのではなく、心の底から疑問に思ってレイはそう言った。カグヤもそれをわかっているのか、特に傷ついた表情を浮かべることもなく、ただ微笑んでいた。

 「友達だからだよ。私の最初の友達は、レイだから。応援しに来た」

 友達。その言葉をレイは口の中で呟いてみる。
 レイはカグヤと友達になったつもりはなかった。ただ同じパイロットの一人、付き合いが長い古株で、やたらとレイの世話を焼きたがるただの人間。そうとしか思っていなかった。
 だが、カグヤが口にした「友達」という言葉は、不思議な納得感を持ってレイの心の中に滑り込んできた。

*   *   *   *   *   *

 ロッカールームから出てきたカグヤは、セントラルドグマ内の通路に立っているシンジとミサトを見つけて手を振った。

 「カグヤちゃん、おっはよー」
 「ミサトさん、こんにちは! シンジも来てたんだ」
 「うん。綾波にカードを渡しにね」

 苦笑したシンジの左頬が赤くなっている。カグヤは目を止めたが、実験が始まった零号機が気になって視線を向けた。

 『絶対境界線まであと2.5、1.7、1.2、1.0、0.5、0.4、0.3、0.2、0.1……突破』
 『ボーダーラインクリア。零号機、起動しました』
 「おお……!」

 カグヤは思わず通路の小窓に張り付いて零号機を眺めた。シンジも身を乗り出して見つめる。

 「前は実験中に事故があったんだよね」
 「そうそう、もう本当に大変だったんだから……」

 カグヤが事故のことを語ろうとした、次の瞬間だった。
 NERV中にサイレンが響き渡った。

 『総員、第一種警戒態勢』
 「使徒!?」

 コーヒーを飲み干し、ミサトが慌ただしく走り去っていく。シンジとカグヤも急いで配置についた。

 二人が制御室までやってくると、ちょうど部屋から出てきたリツコと対面した。

 「来たわね、二人とも。第5の使徒が来たわ。今回は10号機に出撃してもらいます」
 「はい!」

 出撃だ。カグヤは元気良く頷く。不安そうに見つめるシンジに、カグヤは笑顔で向き直った。

 「行ってくるね」
 「うん……」
 「何不安そうな顔してんの。大丈夫だよ、今日の私は絶好調だから」
 「でも……わかった。気をつけて」
 「うん!」

 カグヤは軽やかな足取りでロッカールームへ走り、手早くプラグスーツへと着替えていった。

 (大丈夫、だって私には友達がいる)

 セントラルドグマからエントリープラグに乗り込む。L.C.L.が注水されるあの不快感でさえ、今のカグヤにとっては何ともなかった。

 (もう私は一人じゃない)

 零号機の再起動実験だって成功した。シンジとも仲良くなれた。
 もうレイを守らなくてはと怯え、ただ一機で戦うことになるのではという不安を抱く必要もないのだ。これからは動けるパイロットが三人もいる。それもただのパイロットではない、二人ともカグヤの大切な友達なのだ。

 「シンクロ率31.5%!」
 「好調ね」

 出撃するのは10号機だけでも、カグヤは一人で戦っているわけではない。NERVの職員がいるし、何よりレイとシンジが見守ってくれている。そのことがカグヤの心を鋼のように強くさせた。

 「10号機、発進!」

 10号機は高速で地上へと向かう。かかりくる圧にカグヤが戦闘への覚悟を固めた、その時だった。

 「目標内部に高エネルギー反応確認!」
 「……!」

 使徒が攻撃態勢に入ったのだ。だが、まだエヴァは地上に出ていないし、使徒もエヴァを視認できていないはずだ。なのに何故……いや、考えている暇はない。

 「円周部を加速、収束していきます!」
 「……! だめ、避けて!」

 エヴァは射出用のエレベーターに固定されていて、身動きをとることはできそうになかった。カグヤは何も考えられず、エヴァが地上に出て、使徒が高エネルギー線を集めているのをただじっと見つめていた。

 「「カグヤ!」」
 「はっ!」

 シンジとレイの声がスピーカーから聞こえてくる。それを知覚した途端、カグヤは我に返った。

 (こんな、出た瞬間にやられて、たまるか……ッ!)

 ほとんど無意識のうちに、カグヤは右手を前に突き出していた。その途端、ガキンッという轟音と、高エネルギーを持つ二つの物体が衝突したような衝撃波が辺りを包む。10号機の足が浮いた。

 「10号機のA.T.フィールドです、出力全開で展開しました!」
 「目標内部に再び高エネルギー反応! 第二波です!」

 何が起こっているのか、カグヤの脳では理解が追いつかなかった。
 あまりに強い衝撃波に抗うすべもなく、機体がカグヤの制御を離れてゆっくりと傾いていく。コックピットから見えたのは、使徒が再び光線を打ち出そうとしている光景だった。

 「来ます!」
 「あ……!」

 ——何もできなかった。

 一面の白。そして、全身を引き裂くような激痛。
 薄れゆく意識の中で見えたのは、血のように赤いL.C.L.の海だった。