3 Fight for …

 下校時刻を告げる鐘が鳴っている。下足箱は大勢の生徒のざわめきに包まれていた。

 「はぁあ……」

 シンジは重い溜息を吐いた。視線の先には沢山の友人に囲まれて、楽しげに笑うカグヤの姿があった。
 昨晩ミサトに諭されて改心したシンジは、カグヤに謝る機会を一日中ずっと伺っていた。まず、朝。朝練に参加していたカグヤは、1限目の授業が始まるギリギリになって教室に駆け込んできた。休み時間。授業が終わるたびに、必ず数名の女子生徒が彼女を取り囲んでわからない所を質問している。カグヤはどうやら男子より女子に人気があるようだった。昼休み。これも当然、彼女は数名の友人に囲まれて食事を取っていた。トイレでさえ必ず誰かが付いて行くのを見て、窮屈ではないのかとシンジは本気で心配した。そして放課後が一番酷かった。終業のベルが鳴った直後、各部活によるカグヤの取り合いが始まったのだ。シンジが呆気に取られていると、クラス委員の洞木が苦笑しながら説明してくれた。

 「びっくりしちゃった? 如月さんはどこの部活にも入ってないから、こうやって毎日取り合いが発生するんだよ」
 「と、取り合い??」
 「そう。うちの部活の練習に参加してくれーって。もうどこも必死だよね」

 まるでスーパーの特売のようだった。群がる顧客たちを前に、ただ一つの商品であるカグヤが、苦笑いを浮かべて立っている。
 とても同じ世界にいる人間とは思えなかった。
 
 
 
 それから数日が経った。一度謝る機会を逃すと気まずさが勝ってしまい、たまにカグヤが単独で行動する機会があってもシンジは中々話しかけられずにいた。そのうちに段々と、自分は彼女に嫌われてしまったのではないかという不安を抱くようになってしまい、シンジはますますカグヤに話しかけづらくなっていた。
 今日は射撃の訓練のため、放課後にシンジはNERV本部にやって来ていた。男子ロッカールームで制服を脱ぎ、プラグスーツに着替える。胃の辺りがぎゅっと絞られるような不快感を覚えた。プラグスーツのせいではなく、エヴァに乗ることへのストレスのせいだ。ロッカールームを出てセントラルドグマへ向かうシンジの足取りは重かった。
 許されるならば、逃げたい。もう死の危険を味わいたくない。もう一度エヴァに乗れば、使徒と戦った時の恐怖がありありと蘇ってシンジを食らってしまうような気さえした。

 「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃ……うっ」

 どうにか自分を鼓舞してみたものの、込み上げる吐き気は抑えることができなかった。そのうち立っていることすら辛くなって、シンジは通路にしゃがみ込んでしまった。
 蹲るシンジに、細い影が落ちた。

 「大丈夫?」

 シンジが見上げると、心配そうな顔をした、制服姿のカグヤの姿があった。
 
 
 
 「……ごめん、もう大丈夫」

 男子トイレから出てきたシンジは、唇についた水滴を腕で拭った。カグヤは通路で待っていた。
 通路でしゃがみこんでいたシンジは、カグヤの顔を見るなり嘔吐してしまった。とっさにカグヤが持っていたビニール袋を用意したため通路を汚すことはなかったが、吐いているところはバッチリ見られてしまった。嘔気は一度では治まらず、何度も汚い声でえずいているシンジの背中をカグヤはひたすら摩っていた。

 「汚いところ見せちゃって、本当にごめん」

 吐いたおかげか、シンジの気分は幾分かマシになっていた。しかし今度はカグヤに格好悪い所を見られたという情けなさが襲ってきていた。先日のことも謝らなければと思うものの、どう切り出していいのかもわからなかった。
 シンジが黙っていると、カグヤが口を開いた。

 「10号機の修理が終わったんだ。今からシンクロテストをするところ。これで私も戦える。だからその……この前は本当にごめん。もうあんなことには……」
 「謝るのは僕の方だ」

 カグヤの話を遮って、シンジは絞り出すようにそう言った。

 「ミサトさんから聞いたんだ。如月さんだって頑張ってたこと。なのに僕は……君に八つ当たりしてしまった。本当に最低だ。ごめん」
 「そんな、謝ることじゃ……」
 「だから……」

 ——僕も一緒に戦う。
 その一言が言えなくて、シンジはぐっと息を詰めた。本音を言えばエヴァにはもう二度と乗りたくなかった。だがシンジは知ってしまった。カグヤもエヴァに乗るという同じ立場に立っている者なのだと。そして適性でいえばシンジの方が優っているのだと。それなのに逃げることは、シンジのプライドが許さなかった。

 「……僕も、エヴァに乗るよ」

 情けない声だった。震えた声だった。それでも、その声に、カグヤは溢れんばかりの笑みを浮かべた。

 「本当!? 嬉しい……ありがとう! ありがとう!」

 カグヤはシンジの手を取り、ぎゅっと握った。その手は暖かかった。

 *   *   *   *   *   *  

 シンクロテストを終えたカグヤは、鼻歌を歌いながら集合団地の階段を四階まで上がっていた。一切息を切らさずに登りきったカグヤは、402号室と書かれた部屋のインターホンを押した。
 ピーンポーン……
 しばらくして、ガチャリと鍵の開く重い音がした。中から青い髪の少女、レイが顔を覗かせると、カグヤは満面の笑みで挨拶した。

 「遊びに来たよ!」
 「……帰って」

 レイはカグヤを睨み付けるとドアを閉めた。「ああ待って待って」と慌ててカグヤがドアノブを掴む。

 「伝達事項!」
 「なら最初からそう言って」

 冷淡にそう言うと、レイはドアを開けた。お邪魔します、とカグヤの明るい声が響く。零号機の起動実験でレイが怪我をして以来、ここまでカグヤが明るい笑顔を見せたのは初めてだった。

 「それで、何の用」

 茶の類は出さない。それを知っているカグヤは学生鞄からペットボトルを取り出すと、その中身を飲み干した。空のボトルを律儀に鞄に戻し、カグヤは笑った。

 「碇くん、エヴァに乗ってくれるってさ」
 「……そう」

 それは零号機パイロットであるレイにとっても他人事ではなかった。レイが僅かに眉を上げて関心の色を示すと、カグヤは堰を切ったように話しかけてきた。

 「本当に良かったよね! この前使徒と戦った時、碇くん錯乱してたからもう駄目かと思ってたんだけど、一緒に戦ってくれるんだったら本当に心強いよ! 今日の射撃の訓練も中々筋が良かったし、これで私達の負担も少しは軽くなるね!」
 「……私、負担だとは思ってない」

 それはレイの本心だった。いくらでも肉体に替えが効く以上、レイは使徒と戦って——碇ゲンドウの役に立って死ねるなら本望だった。しかしレイの体の秘密を知らないカグヤは、それを聞いて眉を顰めた。

 「そんな怪我だらけの体で何言ってるんだよ。レイはすぐそうやって生き急ぐんだから」

 生き急いでいるわけではないのだが、レイは何も言わなかった。カグヤはレイの部屋に散らばっているゴミを袋に詰めると、玄関に戻って靴を履いた。レイが必要以上の接触を好まないのは身にしみてわかっているため、カグヤはレイの部屋に来た時は十分以内に帰るようにしていた。

 「じゃ、また学校でね」
 「ええ」

 ゴミ袋を持ったカグヤがレイの部屋を後にする。いつものことだった。