2 The girl

 今日からシンジは第壱中学校に通うことになっていた。蝉の鳴き声が降り注ぐ校庭を歩いていると、黄色い歓声が耳に入ってシンジは声のした方向を見た。陸上部の朝練だろうか。走高跳のマットの上で横たわる人物に、他の部員たちが一斉に集まっている。

 「すごいわ、如月さん! 1m60を飛ぶなんて!」
 「陸上部創設以来の記録だな」
 「うちの部員じゃないのが勿体無い!」
 「今度コツ教えてくれよ!」
 「如月さんかっこいい!」

 如月と呼ばれた人物はマットから起き上がると、照れ臭そうに微笑んだ。中性的な顔立ちで、ランニングシャツと短パンから伸びる手足は細く長い。シンジもその爽やかな美しさにしばらく見とれていたが、やがて我に返ると校舎へ歩き出した。
 
 
 
 内向的なシンジにとって、転校初日の挨拶とは苦痛以外の何物でもなかった。エヴァに乗った時ほどではないが緊張し、手が汗ばむ。2年A組の教室を見渡すと、つまらなそうに窓の外を見つめている、あの青い髪の少女がいた。怪我は治っていないのか、至る所に包帯が巻かれている。

 「碇シンジです……よろしくお願いします」

 疎らな拍手が起きる。シンジは案内された席についた。連絡事項を伝え、もうすぐ休み時間の鐘が鳴る頃に、担任は続けた。

 「如月、碇に学校を案内してやってくれないか」
 「わかりました」

 シンジの後ろの席で声がした。聞き覚えのあるその名に、シンジは振り向く。今朝も見たショートカットの少女が、快活に微笑んだ。

 「案内するよ、碇くん」
 「あ、うん、よろしく……」
 (女の子だったのか!)

 シンジはてっきりカグヤのことを男だと思っており、女子制服に身を包むカグヤを見て驚愕していた。そのために、彼女がセントラルドグマにいたことを忘れていた。
 
 
 
 カグヤは手際よく校舎全体を案内していった。下駄箱、職員室、保健室、理科室……シンジはカグヤに案内されるまま、彼女の後をついていった。そして屋上にたどり着くと、彼女はずんずんと先に進んでいった。

 「如月さん?」

 突然の行動に、シンジは訝しみながらもついていく。倉庫の陰に入った辺りでカグヤは足を止めたかと思うと、くるりと振り返って、頭を下げた。

 「ごめんなさい!」
 「わぁ!」

 脚と胴体が見事に垂直に折れ曲がっている。驚くシンジに、カグヤはその姿勢を崩さないまま続けた。

 「この前は本当にごめん。初心者の君に、エヴァに乗る役目を押し付けてしまって……レイを助けることしか考えてなかった。浅はかだったね、本当にごめん」

 そこまで言われて、シンジはやっと目の前の少女が先日セントラルドグマでシンジの肩を掴んできた少女だとわかった。

 「き、君はあの時の……」
 「私は如月カグヤ。君と同じ、エヴァンゲリオンのパイロットをしてるんだ。よろしく」

 カグヤは頭を上げてそう言うと、シンジに手を差し出した。しかしシンジはそれどころではなかった。
 目の前の少女もパイロットだった。言い換えれば、あの時エヴァに乗る資格を持っていたのだ。

 「君も、パイロットなの?」
 「うん。まぁ学校の人には言ってないけど」
 「じゃああの時、君がエヴァに乗れば良かったじゃないか!」

 シンジが震える声でそう言うと、カグヤは申し訳なさそうに眉を顰めた。

 「できるならそうしたかったんだけど、私の機体は修復中だったんだ。それに、私はエヴァの運転が下手だから……」

 エヴァの運転が下手? 初心者の自分以上に運転が下手だなんて、馬鹿にしているとしか思えない。シンジは怒りで血液が沸騰しそうになるのを感じた。シンジが文字通り生と死の間を彷徨っている間、彼女は安全圏からそれをただ見守っているだけだったのだ。同じく使徒と戦う定めにありながら、それを放棄して逃げた。シンジにはそれが許せなかった。

 「なんだよ、それ。そんな理由で僕が選ばれたって言うの?」

 カグヤはシンジの怒りに気づいたのか、慌てて「そうじゃなくて」と呟いた。しかしシンジは彼女の言い訳を聴く気にはなれなかった。

 「僕は死ぬほど怖い思いをしたんだ。もう二度とエヴァになんて乗りたくない……君にはわかるわけないよ」

 そう吐き捨てると、カグヤは非常に申し訳なさそうな、悲しそうな顔で俯いた。その顔を見ていたくなくて、シンジは踵を返した。その背中に声が降りかかった。

 「本当にごめん! それと……エヴァに乗ってくれて、私達を助けてくれて、ありがとう」
 「……っ、」

 嬉しい、辛い、悲しい。様々な感情がせめぎあう。シンジは逃げ出すように駆け出した。

 *   *   *   *   *   *  

 その晩、シンジは晩御飯を食べながら、向かいにいるミサトに“もう一人のパイロット”のことを尋ねた。

 「あぁ、カグヤちゃんのことね。そっか、同じクラスなのね」
 「彼女が戦えるなら、僕じゃなくても良かったんじゃないですか?」

 つい棘の混ざった言い方になってしまったが、ミサトはまぁそうなるよね、と苦笑しただけだった。

 「あの子は10号機のパイロットなんだけど、今10号機は改修中なの。それにあの子は……」
 「エヴァの運転が下手、ですか」
 「あら、聞いてたの?」

 シンジはカグヤとの会話の内容を大まかに伝えた。ミサトは黙って聞いていたが、やがて困ったように眉間をもんだ。

 「それ、ほんと」
 「えっ?」
 「カグヤちゃんの運転が下手ってのは本当よ。あの子がエヴァに乗ってから7年経つけど、エヴァとのシンクロ率は貴方の方が上だった。彼女がエヴァに乗って歩けるようになったのだって、つい最近のことなの」

 何と言っていいのかわからず、シンジは黙り込んだ。学校で会ったカグヤは文武両道才色兼備、そしてその溌剌とした性格で、学校中の人間から愛されているようだった。そんな彼女が7年間かけて得たものを、自分はたった1日でやり遂げてしまったのだ。これが才能の差と言わずして何と言えるだろうか。
 それでもカグヤへの不信感は消えなかった。下手だからと言って戦わない理由にはならないはずだ。しかし、それは続くミサトの言葉で消え去った。

 「カグヤちゃんも制御室から貴方の戦いを見守っていたわ。ずっと真っ青な顔して今にも倒れそうだったけど、貴方が使徒を倒すまでは気を失わなかった。貴方が負けた後、自分が出られるようにするためよ」

 シンジはハッと目を見開いた。
 彼女は決して逃げたわけではなかったのだ。ただ、戦える力を持っていなかっただけ。それなのに自分は、半ば八つ当たりのように彼女に辛く当たってしまった。

 「……僕、彼女に酷いこと言ってしまったかもしれません」

 項垂れながらシンジがそう言うと、ミサトの明るい声が降ってきた。

 「大丈夫よ。ごめん、って一言言えば、許してくれるわ。人は分かり合えるのよ」
 「そう、ですかね……」

 屋上で頭を下げたカグヤの姿が蘇り、胸の奥がずきりと痛んだ。