「じゃ、母ちゃんが待ってるしそろそろ帰るぜ」
食事も終わり夜の9時を回った頃、燃堂はそう言って席を立った。それに続き、「じゃあ私もそろそろ」と佐取さんが席を立つ。
僕の両親は二人を玄関まで送りながら、「今日は本当にありがとう」と何度も繰り返していた。その後ろから、僕は佐取さんに声をかけた。
「佐取さん、話があるんだ。ちょっといいか」
そう言うと、彼女は僕の意図を察したのか、「ごめん燃堂くん、ちょっと先に行っててもらってもいい?」と燃堂を先に帰した。そして僕と佐取さんは向かい合って見つめ合う——のではなく、その間に、真っ赤な顔をして口元を覆っている僕の両親を挟んでいた。やれやれ……。
((まさか、告白……!?))
(違うぞ)
「と、父さん達は先に休んでるから、どうぞごゆっくり……」
(だから違う。むしろ父さんと母さんに用事があるんだ)
「えっ!?」
困惑する両親に、僕はテレパシーで真実を伝えた。
(佐取さんは僕の超能力を知っているんだ)
「「ええーーーーーっ!?」」
二人の悲鳴が耳をつんざくようだ。だがその悲鳴には明らかに隠しきれない喜びが籠っている。もっと隠してくれていいのに。
「お前の超能力を知っても一緒にいてくれるなんて……彼女か!? やっぱり彼女なのか!?」
「あひゅう〜〜〜、くーちゃんにこんな可愛い彼女ができるなんて……!」
はぁ、絶対こうなると思った。未来予知を使うまでもなくわかりきっていた。
僕の両親がこんな迷惑な勘違いをして申し訳ない。そう思い佐取さんを見やると、彼女は頰を真っ赤にしてはにかんでいた。
「彼女だなんて、逆に斉木くんに申し訳ないです。心が読める者同士、斉木くんには本当に助けられてばかりで」
「はぁ〜、こんな良い性格の女の子なんて楠雄にはもったいな…………えっ?」
あ、その話するのか。
僕が両親に伝えたかったのは、ただ佐取さんが僕の力を知っているということだけで、彼女にも特別な力があるということではなかった。だが、佐取さんは打ち明けることを決めたようだった。
驚いている僕に一瞥をくれ、佐取さんは続けた。
「私も人の心が読めてしまうので、斉木くんと悩みを分かち合えるのが本当に嬉しいんです」
「「え、ええーーーーーっ!?」」
両親の悲鳴二回目。いい加減近所迷惑ではないだろうか。
まさか僕以外にも超能力者がいるとは思わなかったのか、両親は口をあんぐりと開けて固まってしまった。自分の息子に超能力があるとわかった時以上の驚きぶりだ。
その反応に、佐取さんはどこか悲しそうな顔をして俯いた。
(やっぱり、びっくりされちゃうよね)
(……)
彼女から聞こえてきた心の声に、僕の片眉がぴくりと動く。だが、僕がそれについて何か言う前に、母さんが動いた。
「玲子ちゃん」
「え……」
母さんは佐取さんの手を握ると、ふんわりと温かく微笑んだ。
「玲子ちゃんも大変だったのね! 今まで苦労したでしょう」
「!」
佐取さんの大きな目が母さんを見つめた。きらり、と照明の光が瞳に反射する。
母さんの言葉は、転校初日に佐取さんが僕にかけてきた言葉と同じだった。あれは多分、彼女がずっとかけてほしかった言葉だったんだろう。それを僕じゃなく母さんが言った、というのはどこか悔しいものがある。
目を潤ませた佐取さんはそのまま泣いてしまいそうだったが、その顔に気丈な笑みを浮かべると、ぱっとその手を離した。
「ありがとうございます。でも、私なんて全然、大したことないですよ。では私はこれで。お食事ごちそうさまでした!」
佐取さんは早口にそう言うと、靴を履き玄関から出て行こうとする。それをぼんやりと見つめていた僕の背中を、父さんが押した。
「楠雄、送ってやれ」
「えっ、そんな、悪いですよ」
佐取さんは遠慮するが、僕には送らないという選択肢は用意されていない。そう、
「くーちゃん……もちろん送るわよね……?」
般若みたいな顔の母さんがこっちを見ているからだ。
僕は上着を羽織って靴を履くと、玄関の扉を開けた。その行動に、佐取さんが目を丸くする。
(瞬間移動でいいのに)
(あれは見たことがある場所じゃないと行けないんだ。君の家は見たことがないからな)
(そっか……なんかごめんね)
「玲子ちゃん、またいつでも来てね!」
「はい、お邪魔しました!」
出て行く僕達をにやにやしながら見送る両親を尻目に、僕は佐取さんと並んで歩き始めた。
外は積もらないほどの雪が降っていた。肌に突き刺さってきそうな空気の冷たさに、僕は隣を見やった。
(寒くないか?)
(うん、マフラーしてるから平気だよ。ありがとう)
マフラーからちらりと覗く彼女の耳は赤くなっていて、本当に寒くないのか心配になるほどだった。僕にはパイロキネシスがあるが、常人は寒くても熱を生み出せないのだ。
僕がそんなことを考えていると、佐取さんが笑った。
(意外と心配性だね、斉木くんは)
その言葉に、僕は一瞬むっとして『そんなことはない』と返す。この僕が心配性だというのなら、今頃人類は心配のしすぎで死に絶えているだろう。
佐取さんが足を踏み出すたび、スニーカーがアスファルトを踏む静かな音が聞こえてくる。僕はなんとなくその音を聞いていたくなって、特に何も話さないまま歩き続けていた。
そうして五分ぐらい経った頃、ふと佐取さんが話し始めた。
(今日は、本当にありがとう。すっごく楽しかった)
(……)
その口調がやけにしみじみとしているので、僕は思わず彼女の横顔を見た。
赤くなった鼻先から下はマフラーに覆い隠されていて、長い睫毛を伏せる彼女の口元を読み取ることができない。僕の視線に気がつくと、佐取さんは照れ臭そうに目を細めた。
「なぁに? なんかついてる?」
(……別に)
僕がふいと顔を背けると、佐取さんの押し殺したような笑い声が聞こえてきた。からかわれているようなその仕草に、僕は何とは無しに口を尖らせる。
(それにしても、斉木くんのお家は明るくて良いね。羨ましいなあ)
(大したことないだろう)
(そうかな)
佐取さんが小さく笑う。しかし、続く言葉は場の雰囲気をがらりと変えるのに相応しいものだった。
(私のお母さんは、斉木くんのお母さんみたいなことは言ってくれなかったから)
僕は、はっと息を止めた。
その瞳に浮かぶ嫉妬に、その唇に滲む寂しさに、僕はまるで目を離すことができない。
心臓が鷲掴みにされたかのようだった。
(そう、か)
転校してから今まで、佐取さんは僕の前で暗い顔を見せたことがなかった。恐怖に泣き喚いたり、心配で情けない顔をすることはあっても、彼女の心にはいつも光が差していた。そういう風に見えていた。前の学校でいじめられていたと語ってくれた時も、その表情はあくまでさっぱりとしたものだった。
だが、違った。
昼が来れば夜が来るように、光があれば闇があるように、彼女の心にも影はあったのだ。
彼女から嫉妬を向けられているにも関わらず、僕はどくんどくんと熱い血液が体を流れていくのを感じていた。
「あ、ごめん、こんな……子供みたいなこと」
急に我に返った佐取さんが、動揺を取り繕うかのように笑みを浮かべる。その腕を、僕は掴んだ。
「いいんだ」
「えっ……」
真ん丸に見開かれた瞳と目が合う。淡く色づいた唇が、呆けたように開かれている。
——同じだ、と思った。
こんな力のせいで世界の全てに絶望し、道を踏み外しかけたかつての僕と、佐取さんの姿が重なった。彼女が僕に嫉妬したように、僕もあらゆる他人に嫉妬していた。彼女が母親に理解してもらえない寂しさを抱いていたように、僕も人と分かり合えない寂しさを抱いていた。
だが、僕には母さんがいた。人を疑うことを知らなくて、人を愛する喜びを誰よりも知っている母さんがいてくれたおかげで、僕は人類に絶望せずに済んだ。
もし、佐取さんが誰からも理解されず、一人ぼっちでいるかのように感じているのなら、それはすごく辛いことだ。誰にも甘えてはいけない、泣いてはいけないと思っていては、いつか沈んでしまうから。
僕は小さく息を吸った。
「僕の前では、強がらなくてもいい」
僕を見つめた瞳が、ぐらりと揺れ動く。星の光を反射したそれは、溢れそうな涙を湛えて小刻みに揺れていて、あまりに幻想的な美しさに僕は息を忘れる。
「斉木くん……」
掠れかけた佐取さんの声が、僕の鼓膜を揺らした。
その時だった。
「あっ」
数メートル先から声がして、僕達ははっと声のする方向を見る。いち早く反応したのは、佐取さんの方だった。
「あっ、光輝!」
「あー、えーっと……ね、姉ちゃん、おかえり」
佐取さんは目の端に浮かんだ涙をさっと拭うと、そっちこそおかえり、と明るい声で返した。対照的に、声の主、つまり佐取さんの弟は目を泳がせていた。
(うわーやっちまったどうしよう、びっくりして思わず声出ちゃったんだけど明らかに邪魔だったよな俺……せっかく姉ちゃんに良い人が現れたっていうのに俺はなんてことしたんだ……)
そのテレパシーを聞いただけで、彼の性格が一瞬にしてわかってしまった。こいつ、良い奴だ。佐取さんの弟だけあってナチュラルに性格が良い。そして顔も良い。性別は違えど、あの照橋さんが霞んでしまいそうなほどの完璧さだ。
佐取弟に感心している僕をよそに、佐取さんは彼の心を読んだ途端慌てふためいていた。姉弟そろってあわあわしている。
「あの、光輝、違うの! この人は私のクラスメイトの斉木くんで、全然光輝が思ってるような関係じゃないから! ねえちょっと、聞いてる!?」
「初めまして、斉木先輩! 俺、佐取玲子の弟の、佐取光輝って言います! 姉ちゃんがいつもお世話になってます」
(この人が将来の義兄かー)
「いや、こちらこそお姉さんとは親しくさせていただいて……」
(この子が将来の義弟かー)
「ちょっと二人ともー!」
顔を真っ赤にした佐取さんが、僕と光輝くんの間に割って入る。なんだなんだ、ただ挨拶していただけじゃないか。そう思っていると、心を読んだ佐取さんが僕のことをじっと睨んできた。どうやらからかいすぎてしまったようだ。
はぁ、と佐取さんの口から疲れ切ったようなため息が漏れた。
「とにかく……斉木くん、送ってくれてありがとう。家はすぐそこだから、もう大丈夫。ほら光輝、帰ろう」
「え、いいの?」
「いいのも何もないの!」
未だ顔を赤くしたまま、佐取さんがもう、と呟いて腰に手を当てる。それでも、彼女が弟を見つめる目は優しくて、僕は思わずふっと笑みを零した。
(杞憂だったのかもな)
(え?)
(いや、なんでもない。じゃあ僕は帰る)
そう言って、僕が踵を返した直後。
佐取さんの声が、背中に降りかかってきた。
「斉木くん、メリークリスマス!」
心臓が弾んだ。
なんてことのない、ただ一年に一度の挨拶が、僕の足を止める。なぜか振り返ってしまいそうになる衝動を堪え、僕は片手を上げた。
「メリークリスマス」
クリスマスも悪くないな、なんて思いながら。