16 霊能力者と覚

 ある日の昼休み、食堂の帰りにたまたま鳥束くんと会った私は、並んで廊下を歩いていた。
 
 「はぁ〜、今日も幽霊に女の子のパンティの色教えてもらえなかったっスよ」
 「相変わらず低俗だねぇ」
 「なーに言ってんスか、佐取さん。性欲は人間の三大欲求の一つなんっスよ!? 本能に忠実に生きて何が悪いんスか」
 
 もはや開き直ってるな、こいつ。いっそ清々しいまでの変態ぶりだ。すれ違う女子生徒の胸部を見て、『う〜ん、B!』などと失礼なことを考えている鳥束くんを私はジロリと睨んだ。
 しかし、そんな人間のクズみたいな鳥束くんにも一つ、尊敬すべき点がある。それは——
 
 「それにしても鳥束くんさ」
 「はい?」
 「本当に私のことそういう目で一切見てないよね。ちゃんと約束守ってくれて、ありがとう」
 
 そう、鳥束くんは転校してすぐに交わした「私のことを性的な目で見ないこと」という約束をきっちり律儀に守っているのだ。あの日以来、彼が私に対してそういう目を向けたことは本当にただの一度もなかった。発言とは違って、心の声を制御するのはとても難しいことなのだが、その約束を守ってくれている鳥束くんのことを私は尊敬していた。
 褒められ慣れていないのか、鳥束くんは照れ臭そうにはにかんだ。しかしその後に続いたのは、中々衝撃的な発言だった。
 
 「オレ、佐取さんのことは幽霊と思うことにしたっス」
 「は!? 私まだ生きてるよ!」
 「オレにとって手出しできない女なんて幽霊と変わんないんっスよ」
 
 歪みない男だな、鳥束零太。
 あまりの発言に唖然としていたが、「幽霊」という言葉に、私はあることを思い出した。
 
 「幽霊と言えばさ、私の守護霊ってどんななの?」
 
 私は鳥束くんに自分の守護霊を教えてもらったことがない。彼の意識に私の守護霊の話が登っていたこともない。それはこの学校に幽霊が多すぎるのか、それとも私の守護霊の問題なのか。
 私が尋ねると、鳥束くんは珍しく少し真剣な顔をした。
 
 「ああ、そのことなんスけど……」
 「どけどけどけーー!!」
 「いってぇ!?」
 
 話そうとした鳥束くんの横を、猛スピードで男子生徒が走り抜けていく。ぶつかられた鳥束くんは肩を抑えてよろけていた。
 
 「大丈夫?」
 「ああ、大丈夫っス……しっかし、なんなんスか、あいつ!」
 「ほんとだね……ゔっ!?」
 
 鳥束くんに同情していた私の胃を、急に鋭い痛みが襲った。
 そしてどこからか聞こえてくる心の声。
 
 (ヘッヘッヘ……〇〇さんの体操着、これで×××で×××なことをしてやるぜ)
 「ヴォェッ」
 「ど、どうしたんスか佐取さん、急にそんなおっさんみたいな声出して」
 
 おっさんとはなんだ、こんな華の女子高生に向かって失礼な。
 しかしこの胃の不快感にあの汚い心の声、これはいつものやつだ。つまり、悪意のある人物の心を読んだ時に私の体調が悪くなるという、なんのメリットもない能力が今発揮されているのだ。
 私自身の体調を良くするためにも、悪は裁くしかない。となればやることは決まっている。
 
 「鳥束くん、今の男子生徒追うよ!」
 「えぇっ! そんなオレのためにそこまでしなくても……」
 「あんたのためじゃない!!」
 
 感動している鳥束くんの肩をひっ掴み、私はかの男子生徒が走っていった後を追った。
 
  *   *   *   *   *   * 
 
 校舎の階段を駆け上り、渡り廊下を越えてコンピュータ室の前を通り過ぎた辺りで、私は息を切らして立ち止まった。
 
 「だめだ、見失った……」
 「い、いきなりなんなんスか、佐取さん……あと手離してくださいよ。斉木さんに見られたら殺されちゃいます」
 「あぁ、ごめん」
 
 なぜそこで斉木くんが出てくるのかはわからなかったが、私は慌てて鳥束くんを掴んでいた手を離した。二人揃って息を整え終わると、私は鳥束くんに事のあらましを説明した。
 さっきすれ違った男子生徒が、誰かの体操服を盗んでいたこと。
 そういう悪巧みをしている人の声を聞くと体調が悪くなるので、私はさっさとそいつを成敗したいということ。
 それを聞いた鳥束くんは「なるほど」と言って腕組みをした。
 
 「つまり、オレがその男子生徒から体操着を取り返せば、その女子生徒には感謝されるわ、佐取さんに恩も売れるわで一石二鳥なわけっスね!」
 「…………平たく言うとそうだね」
 
 そこで真っ先に損得勘定が出てくる辺りが鳥束くんらしいが、協力してもらう身である以上下手なことは言えない。
 二つ返事で頷いた鳥束くんは、早速とばかりに霊との交渉を開始した。
 
 「ちょっと待っててください! 今幽霊に聞いてみますから」
 「うん、よろしく」
 
 正直に言えば、私は幽霊の類は苦手である。なぜなら小心者だからだ。よくわからないものは怖い、その一言に尽きる。この前占ってもらったお婆さんが幽霊だったとわかった時など、恐怖で夜なかなか眠れなかったほどだ。
 しかし、目の前でこうして本物の霊能力者が幽霊と話しているのを見ると、不思議と怖いとは思わなかった。鳥束くんが霊と会話することは、オカルトやホラーには分類されない日常の一種であると、脳がそう判断しているのかもしれない。
 
 「わかりましたよ、佐取さん! 犯人は生物室に入っていったみたいっす!」
 「わかった、行こう!」
 
 生物室ならすぐ近くだ。私達は走って(本当は廊下を走ってはいけないが)生物室に向かった。
 
 「ここか……」
 
 閉められた扉の向こうから、あの男子生徒の心の声が聞こえる。私が息勇んで突入しようとした、その時だった。
 鳥束くんが見えない何かにギョッとして仰け反った。
 
 「あ、あんたは……今朝の幽霊じゃないっすか!」
 「え?」
 
 どうやら私達の目の前を、中にいる男子生徒の守護霊が立ち塞いでいるらしい。私には見えないし立ち止まってやる筋合いはないのだが、先に行こうとした瞬間鳥束くんが「空気読んでくださいよ」と言わんばかりの視線を向けてきたので渋々付き合ってやることにした。
 しばらく幽霊と会話していた鳥束くんは、やがて驚きの発言を口にした。
 
 「えっ、ここで犯人を見逃したら何でもするだって?」
 「えー!?」
 
 守護霊が鳥束くんに取引を持ちかけたようだ。その言葉に、鳥束くんの心が揺れているのがよく聞こえてくる。誰かの弱味……可愛いあの子の住所……銀行口座の暗証番号……女の子のスカートの中……正直、鳥束くんの頭の中の方がよっぽど犯罪である。
 しかし、守護霊の取引に対し、鳥束くんは首を横に振った。
 
 「この学校には何でも見通せるめちゃくちゃ恐い超能力者と、心の声が聞こえる正義感の強い女の子がいるんすよ。そんな二人の前で、善良な幽霊を脅して非道の限りを尽くすなんて恐ろしい真似、オレには到底できないっス。それに……」
 「?」
 「流石のオレでも、自分の守護する人間をここまで必死に守ろうとするアンタに、そんなことはさせられないっスよ」
 「おお……!」
 
 たまには良いところがあるじゃないか。私の心の中で鳥束くんの評価が改まっていくのを感じた。
 鳥束くんは爽やかに微笑むと、守護霊の意向は無視して意気揚々と生物室に入っていった。今のは引き返す流れだったようにも思えるが、犯人確保のためなら仕方ない。
 しかし、そこで目にしたのは、机の上に広げられた体操服と、冬の冷たい風を受けてはためくカーテンだけだった。
 
 「誰もいない……?」
 「あっ、もしかして、オレらが扉の前で騒いでる間に窓から逃げちゃったんじゃないっスか!?」
 
 なんてことだ。確かに、もう犯人の心の声も聞こえなくなってしまった。ということは、ここからかなり遠くまで逃げてしまったということになる。
 肩を落とす私達の元に、廊下の方から話し声が聞こえてきた。
 
 「ほんと、困っちゃうよね」
 「犯人見つけたら松崎に突き出してやるんだから!」
 
 心の声も同時に聞いた私は、その声の主がこの体操服の持ち主であるということに気付いた。だが、気付いたところでどうしようもなく、ただ焦っているうちに生物室の扉が開けられた。
 
 「あ! 体操服見つけ、た……?」
 
 体操服の持ち主である女子生徒とその友人は、机に置かれている体操服と、意味もなく立っている私達と交互に見つめ、硬直した。
 
 「……?」
 「…………」
 「………………??」

 その場に奇妙な沈黙が流れた。
 もし、この場に鳥束くん一人だけが先に立っていたなら、彼が体操着泥棒だという思い込みで話が進んでいくだろう。私一人がいたなら、たまたま体操服を見つけた目撃者A程度の扱いになるだろう。
 しかし、男女が二人で教室にいるというのは、ぱっと思いつく理由がない。男女の密会にしては、机に置かれている体操服が異彩を放ちすぎているし、二人で協力して体操着を盗んだというのもあまりないシチュエーションだ。
 そして私達も、彼女らにこの状況を何と説明するべきかわからなかった。貴方の体操服を盗んだ男の心の声を聞いて咄嗟に追いかけたのですが見失い、鳥束くんの霊能力を使ってなんとかここまで来ましたが犯人は取り逃がしました、とでも言えばいいのか。長い上に意味不明だ。
 鳥束くんも私と同じことを考えていて、誰も一言も発しないまま、ただ時間だけが過ぎた。
 この沈黙が永遠に続くのではと思われた中、廊下から唐突に男の人の声がした。松崎先生の声だ。
 
 「ここにいたか! 体操服を盗んだ犯人が見つかったぞ!」
 「えっ? そ、そうなんですか」
 
 体操服の持ち主の女の子は、明らかに「じゃあこいつらはなんなんだ」という顔をした。実際心の中でそう言っていた。
 しかしこの好機を逃す私ではない。机の上に広がった体操着を手早く纏めると、私は狼狽する女の子の手にそれを渡した。
 
 「はい、これ! 見つかって良かったね」
 「あ、うん、ありがとう……」
 「これで一件落着だね! じゃあ鳥束くん、行こうか」
 「そ、そうっスね! いやー良かった良かった!」
 
 ひたすら脳内に疑問符を浮かべている彼女らをよそに、私達はにこやかに笑いながら、足早に生物室を後にした。
 教室の近くまで戻ってきた辺りで、鳥束くんがしみじみと呟いた。
 
 「佐取さん」
 「うん?」
 「次からは斉木さんを呼びましょう」
 「そうだね……」
 
 今日ほど疲れた日もない。私達は別れの言葉もないまま、それぞれの教室に入っていった。

  *   *   *   *   *   * 
 
 佐取さんが鳥束となにやら珍妙な犯人捕獲劇を繰り広げていた日の真夜中、僕は天井を眺めていた。
 いや、なにも好き好んで天井を眺めているわけではない。それ以外に何も出来ないのだ。
 ——金縛り。
 夜中に目が覚め、指先の一本たりとも動かせないという、常人にしか起きないと思っていたような出来事が僕の身を襲っていた。
 金縛りは体が深く眠っている時に脳だけが目覚めてしまうことによって起きると言う。だが、超能力者である僕にとって体のコントロールが効かないなどという事態は、それこそ頭の制御装置を抜かない限り起きないのだ。しかし、制御装置はしっかりと僕の頭に刺さっている。ではなぜ金縛りなんかに逢っているのか。
 それはこの金縛りが科学的理由ではなく、オカルト的理由によって引き起こされたものだからだ。
 
 『ほっほっほ……久しぶりじゃのう、楠雄……』
 
 僕の目の前には、長い黒髪に十二単を来た女が妖艶な笑みを湛えて浮いている。燃堂父のように若干体が透けているので、きっと幽霊なのだろう。当然ながら僕にこんな知り合いはいない。いつもなら手段は選ばずお引き取り頂いているところなのだが、金縛りに遭っている以上効果的な手段は取れそうになかった。
 奇跡的に口を動かすことが出来たので、僕はどうにか喋ることが出来た。
 
 「僕にお前みたいな知り合いはいないんだが」
 
 そう言うと、女はその端正な顔をくしゃりと歪め、子供のようなあどけない笑顔を浮かべた。そうして笑っていると、オカルト特有の背筋も凍るような恐ろしさが無くなって、僕は少し拍子抜けした。
 
 『おお、そうじゃったそうじゃった。長く生きておると物忘れが激しくなっていかんわい』
 「お前生きてないだろ」
 『ほっほっほ、相変わらず口の減らん奴じゃ』
 
 女の口調は、かつての平安貴族のようとも、現代の老人のようとも取れるものだった。あるいはその両方なのかもしれない。不思議なことに、彼女と話していると田園風景を眺めているような懐かしさを感じた。
 僕と話したことでひとまず満足したのか、女はうっすらと暗闇の中に溶けて消えていった。ようやく眠れると僕が溜息をついた時、女は衝撃の一言を吐いた。
 
 『では、引き続き玲子を頼んだぞ』
 「……は?」
 
 なぜそこで佐取さんの名前が出てくる。
 問い詰めようとした影は、もうすっかり夜中の静寂に溶けて消えていた。