五章 水上神殿掃討戦 ②

 「ファッティホエール……」

 その名を呟いたのはメタナイトだった。名を呼ばれたファッティホエールは、重い溜息を吐くかのようにゆっくりと潮を吹く。細かな水飛沫が頬にかかるのと同時に、巨鯨の思念が耳に流れ込んできた。
 
 『汝……水の星の平穏を乱すか』

 言葉の意味を認識したナギは、脊髄に電撃が走ったかのように一歩踏み出していた。

 「違います、ファッティホエール! 私はナギ、シスイの村の生き残りです! 我ら銀河戦士団は、貴方様の守るワープスターの無事を確認しに来ただけなのです!」
 『聖なる神殿の安寧を乱すもの、許さじ。深き海の底に沈むべし』
 「ファッティホエール!」

 叫びながら、ナギは目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
 目の前の怪物には、話の通じる気配が微塵もなかった。訪れる侵入者をことごとく消し去るためだけに作られた、防衛システムの一種と言っても過言ではないだろう。伝承に語られる内容の恐ろしさなど、実物の三割にも達していない。
 ナギが言葉を失い立ち尽くす前で、ファッティホエールはその目に敵意を漲らせながら、尾ビレを高く振り上げていた。メタナイトとジェクラが叫び声を上げた。

 「総員、戦闘用意! 目標、ファッティホエール!」

 我に返ったナギがスイレンを抜いたのと、滝のような水の塊が一斉に降り掛かったのはほぼ同時だった。
 弾丸が降り注いだのかと思うほど激しい水飛沫だった。全身に殴られたような鈍い痛みが走り、その水圧に膝を折りそうになる。

 「くっ……」

 これでは武器を振るうどころではない。歯を食いしばって耐えたが、次は地面がぐわんと大きく揺れる感触がした。まるで巨大な何かが空に跳ね上がったかのようだ。
 ……何が?
 ナギはぞっとした。そのまま、本能的に上を向いていた。

 巨体が部屋の中央に浮いていた。
 
 「全員壁際に逃げて!」

 ナギの絶叫が部屋中に響き渡った。その直後、部屋が爆発したかのような轟音と地鳴りがした。
 散り散りになった団員は、それまで自分達がいた部屋の中央を青い巨躯が押し潰しているのを見た。後逃げるのが数秒遅れていれば、一瞬にして見るも無残な姿に変わり果てていたことだろう。その事実に、何人かの兵士が恐慌状態に陥っていた。
 かくいうナギも、背中を冷や汗が伝うのを感じた。

 「どう、すれば……」

 ナギの使う剣術は主に対人・対小型魔獣を想定したものであって、あれほど大きな怪物を相手にできるものではない。スイレンの刃も、あれほど厚い脂肪に覆われていては急所まで届きようがないだろう。
 途方に暮れているナギに、ぽん、とメタナイトが背中を叩いた。

 「しっかりしろ、ナギ。私達がついている」
 「メタナイト様……」

 振り返ると、メタナイトとジェクラが剣を携えていた。ジェクラがナギの目を見て頷いた。

 「俺達であのクジラはなんとかする。ナギ、お前は仲間を守ることに集中してくれ」
 「……了解しました」
 
 一体あの怪獣に対し、2本の剣でどうやって立ち向かうつもりなのか。だが二人には勝算があるように見える。ナギは色々聞きたいのを堪えて頷きを返した。

 「お気をつけて」
 「ああ!」
 
 メタナイトとジェクラが走り出す。ファッティホエールは再び水中に潜ると、鼻孔から噴水のような潮を吹いた。
 水しぶきで視界が遮られる。
 降ってくるのは海水だけかと思いきや、なぜか小型の魚型魔獣や岩塊も混じっており、ナギは戦闘不能になった仲間の分までそれらを斬り払った。尻餅をついていた隊員が、壁伝いによろよろと立ち上がる。

 「あ、ありがとう……」
 「落ち着いて、自分の身を守ることに専念してください。戦闘は隊長達が」

 ナギが振り返ると、メタナイトとジェクラは飛ぶような速さで接敵し、攻勢に転じていた。

 「やっ!」
 「はああ!」

 メタナイトが素早い剣技で敵を翻弄し、隙が生まれたところへジェクラの重い一撃が決まる。これほど息の合った連携を見たことはなかった。目が合うだけで、息をするだけで、お互いの意図を把握できている。
 それでも、今の彼らが持つ武器では、ファッティホエールの急所を貫くことは不可能だった。体表を幾度刻まれても、巨鯨は全く気に介している様子がない。メタナイトとジェクラは一旦引き下がり、息を整えた。

 「あれをやるか」
 「ああ」

 二人が向き合って頷く。戦闘中にもかかわらず、ナギは純粋な期待に心が弾むのを感じた。
 何をするつもりなんだろう。彼らなら、まるで想像もつかなかったような一手を繰り出してくれるのではないか。そんな予感がする。
 二人は剣を構えたまま、静かに目を閉じた。目を閉じるなんて——ナギは緊張に息が詰まるのを感じる。ファッティホエールは彼らの様子を伺うように佇んでいたが、やがて今が好機だと言わんばかりにその尾びれを高く振り上げた。

 「危ない——!」

 ナギが駆け出そうとした、その瞬間だった。
 メタナイトとジェクラは剣を天に掲げた。

 『ソードビーム!』

 振り下ろされた剣の軌跡が、眩い光の刃となって斬り進んでいく。質量のない刃に貫かれたファッティホエールは、断末魔さえあげることなく、真っ二つに斬り裂かれて爆散していった。

 ナギは呆然としてその光景を見つめていた。

 「ソード、ビーム……」

 もう敵の気配がないことを確認して、メタナイトとジェクラが剣をしまう。
 味方中が歓声に沸き立った。

 「す、すげえ! あの怪物に勝ったんだ!」
 「さすが隊長だ!」
 「銀河戦士団、ばんざーい!」

 ジェクラは歓声に軽く微笑むと、片手をあげてそれを制した。負傷した兵の数を確認するよう部下に命じている。
 メタナイトも辺りの状況を簡単に確認すると、ナギに向かって歩いてきた。

 「ナギ、ご苦労だった。怪我は——」

 その時だった。
 広間に続く扉が蹴破られんばかりの勢いで開き、泡を食ったような慌てぶりの兵士が転がり出てきた。

 「てっ、敵襲、敵襲ーー!!」
 「なに!?」
 「北東およそ5km先、20体の魔獣の軍勢が接近中! 軍を率いているのは、あの鋼鉄魔獣マッシャーです!」
 「まさか……!」

 鋼鉄魔獣マッシャー——その名を聞いただけで、兵士達に動揺が走った。
 ナギは知らなかったが、マッシャーは当時ナイトメアによって作られた魔獣の中でも最強格であり、その黒鉄の体はあらゆる攻撃を受け付けないとされていた。そのマッシャーを含め20体の魔獣が攻めてくるなど、一体今の戦力でどう立ち向かえというのだろう。
 皆が絶望に押し黙った。最初に口を開いたのはジェクラだった。

 「撤退しよう。ワープスターを確保して、本部に応援を要請するんだ」
 「そ……そうですよ! しかも首領があのマッシャーだなんて、部が悪すぎます!」
 「今の俺たちでは、20体の魔獣など倒せません……!」

 ジェクラ隊の兵士も、メタナイト隊の兵士も、ジェクラの提案に次々と賛同していった。ワープスターを回収し、いち早くここから撤退しよう、と忙しなく視線を動かしている。
 メタナイトは、ただ静かにナギを見つめていた。ナギはその視線にすら気付かずに、固く己の愛刀を、スイレンを握り締めていた。
 
 
 スイレンの呼ぶ声がする。

 『星の歌を聴きなさい——』

 今、故郷の星は泣いている。大地に刃が突き刺さり、川に民の血が流れ、空に慟哭が響き渡る。
 誰が為の剣か。誰が為の盾か。
 無辜の民が踏み躙られ、愛した景色が焼き払われるのをただ見ていることしかできないというのなら、ナギは何の為にスイレンを手に取ったのか。

 もう二度と、あんな思いはしたくないと願ったからではないのか。
 
 
 ナギは震える声で言った。

 「戦わせてください……!」

 全員が一斉にナギを見た。その眼差しは決して好意的ではなかった。
 ナギは怯まずに続けた。

 「私はもう、この星が魔獣に荒らされるのを黙って見ていることはできません! シスイの村が滅びたあの日、私は生きるためではなく、守るために刃を振るうと、そう決めたのです。どんな数の敵が相手でも、私はこの命ある限りスイレンを振るい続けたいのです! 銀河戦士団としての、誇りを胸に!」

 誇りを胸に。
 その言葉に、何人かの戦士達はハッとして顔を上げた。絶望に失われていた瞳の輝きが、ナギの言葉によって蘇っていくかのようだった。
 メタナイトも首を縦に振った。

 「幸い、私もジェクラも、そしてナギも消耗は抑えられている。この神殿を拠点に防衛戦を展開すれば、完勝とまではいかずとも善戦できるのではないか。どう思う、ジェクラ」
 「そうだな……負傷した兵士達は先に宇宙艇で本部へと戻ってもらい、残った者達でここを守ることにしよう。増援が来るまでの間なら、十分正気はあるはずだ。いいな、皆!」

 はっ、とも、おお、ともつかない声が兵士達から上がった。それは、皆がこの神殿を守る、守るために戦うと、そう決めた瞬間だった。
 ナギの瞳に、うっすらと涙の膜が張った。闘気に体が打ち震えた。

 (絶対に負けられない……)

 メタナイトもジェクラも隊の兵士達も、皆ナギの思いを聞いてくれた。ナギの想いに応えてくれた。自分の命を危険に晒してまで、この星を、この神殿を守ることを優先してくれたのだ。
 誰一人死なせてはならない——
 一瞬、ナギの脳裏に、生まれ故郷の凄惨な光景が蘇った。血の臭いに満ち、炎がかつての仲間を飲み込んでいる、地獄のような光景が。
 思わず強張ったナギの肩に、そっと手が置かれた。

 「やるぞ、ナギ」

 ナギははっと顔を上げた。
 メタナイトが、力強い眼差しでナギを見つめていた。たった一言ではあるが、その言葉はナギを勇気づけるのに十分だった。

 「はい!」

 この人となら、必ず勝てる。勝ってみせる。
 力強く頷き、ナギは迎撃準備のために走り出した。